24.11.17
ボロヴィニアへお越し頂きありがとうございました!
少女の国の鍵を付けていらっしゃった方、前日アリプロのライブに参加された方々、初めてコミティアに来ましたとお話下さった方など、美しいものを愛する心と情熱をたくさん分けて頂きました。
直接頂戴したお言葉のひとつひとつが、薔薇やすみれや百合の花のように感じました。
私たち、普段インターネット上で暮らしていますから貴重ですね。
そして、宇宙一うれしい差し入れを頂くなどして幸せでした。(これは何がより嬉しいというお話ではなく、きっとみなさんもご覧になりたいものだと思いますから後日ご紹介します!)
私はというと、急に一人参加になったため全てに時間がかかり、売り子という言葉が出てこなくて売人と言ったり、ノベルティという言葉が出てこなくてしばらく固まったり、
部数の読みが甘くて再版した再録集以外完売し、最後は袋すら無くなったりしていましたが、百貨店のように完璧である必要はありませんのでOKとします。
皆さんがあたたかく、本当に助けられました。
サークルの内側へ入れることは着ぐるみの中身を見せてしまうことと同じだ、と思っているため誰かに気軽に声をかけられる器用さがなく、結局一人を貫きました。
それでも撤収はサークル参加経験のある方が手伝って下さって二倍速で進み、ありがたすぎて今も心の中で拝んでいます。
本日いらした方とのやりとりの中に、(推しに対する)信頼の話題があったので 連想したことを綴ります。
『NICOLA』後半の真弓がニコラのあらゆる行動を疑ってかかるのは、もう彼への信頼を失っているからです。
・12月 ニコラのSNS投稿→ちえりちゃんへの私信ではないか?
・1月 ライブの選曲→古参であるちえりちゃんへのアピールではないか?
など。
推していて全然楽しくないのに離れられない状態です。信じたいし元に戻りたいのに、どうしても先に疑いの目で見てしまう。
「信じたい」というと格好良く聞こえますが、とにかく自分の不安を払拭したい気持ちが強い。
あれはきっと何かの間違いで、本当に天使なんだよね? わたしの夢見たニコちゃんだよね?
安心したくて、確認の名目でどんどん漁って掘り返して調べる中で、根拠もない誰かの感想に心を引っ張られ、田口雄大でしかなかった頃の学校の友人とのやりとりを発見し、
自分の知らないニコラを、生身の人間を感じてますます苦しくなっていく。見たら落ち込むのに知らずにはいられない泥沼に足を取られていく。
女の子の友達が多いみたい。もしかしてこの中の誰かが彼女? やっぱり普通の男なんだろうか?
応接間からNICOLAや薔薇の女王の感想を下さった方、ありがとうございます!
ここを開いていらっしゃらないかもしれませんが、お礼をお伝えいたします。メッセージしかと拝読しております。
そういえば、『NICOLA』には実は一度も「推し活」という言葉が出てきません。2020年に描いたお話だからです。
このワードが広く一般に浸透したのは2021年になってからです。
真弓たちの世界にはまだ、2024年の私たちがイメージする、商業的に打ち出された「推し活」は存在していません。流れが早すぎて忘れてしまいそうになるけれど。
私のセイレーンちゃんに対する重い感情の発露や、好みの概念へのろくろ回し文章が好きと言って頂けたので、これからも自信を持ってお出ししていこうと思います。そういうのはどれだけあっても楽しいですからね。
24.11.16
元気いっぱい作品を再掲しましたが、内心不安でたまりません!
二人で設営・撤収をすることを前提に段取りを組んでいるところ、明日いつも手伝ってくれている売り子友人が急きょ来られなくなって一人だからです!
幼稚園の頃、プールに入る準備にも最後のお着替えにも時間がかかり、暗くなった教室に置いて行かれて泣いていた頃から大して変わっていないため、いつも設営に丸2時間使っています。
明日は苦手な早起きをもっとがんばらなければなりません、それでもサークル入場開始が9時なのは同じですが……
ただ、スペースを離れられない=お越しくださる方に私が必ず対応できるということなので、それはとても嬉しいな、と感じました。
買い物に出るため席を離れて戻ると、「人来てくれたよ」「お手紙預かったよ」と友人が話してくれるのがありがたい反面、できるだけ私が作品を手渡ししたかったから。
いつもは友人にお会計を任せきりのため、明日は少し手間取るかもしれませんがお許しくださいね。
撤収時間を早める予定は今のところありませんが、過去に一人で参加した時に手間取りすぎてサークル参加者がいなくなり、会場の机の片付けが始まったことがあるので(暗くなった教室と同じ……)様子を見て手をつけ始めるかもしれません。
コミティアに行きます、というメッセージを下さった方、ありがとうございます!
早いもので初参加から5年経ちましたが、いまだに遅刻の夢を見るくらい気が引き締まっているのでとても心強いです。
個展最終日にお越しくださった方のご感想もしかと拝読いたしました!
ボロヴィニアへお心を寄せて頂き本当に嬉しいです。コミティア後にゆっくりお返事を綴りますね。
24.11.12
コミティア150 の専用ページを作成しました!
当日楽しみにお待ちしています。
真弓関係で、
・実際はニコラより真弓の方が神適性がある
・真弓におすすめできる推し、できない推し
・真弓と野菊さんは遠いようで一番似ている
あたりの話を2年以上前から暖めています。
私の頭の中に概念はありますが文の組み立てがスムーズにいきません。それでも3番目はかなりまとまってきたので、真弓の誕生日あたりには出せそうです。
彼女は生きた人間として存在するキャラクターで、思考も背景も根拠も全部あるので話題がほぼ無限にあります。今生きている私たちと同じように。
倒立〜について応接間からメッセージを下さった方、ありがとうございます!
しかと拝読しています。あなたがこの素敵な本を楽しむきっかけとなれましたことを幸いに思います。
恥ずかしながら現在、コミティア出展準備で大慌て状態のため、イベント明けにお返事を書きますね。今しばらくお待ちください。
24.11.8
このあたりで一旦満足したので、軸を私の作品に移してお喋りの続きをします。
『NICOLA』で真弓の大好きな高畠クロエは、この「優雅さ、つかみどころがなく、変幻自在で、魂を粉砕してしまうほどの邪悪な魅力」をベースにキャラクター造形を考えています。
『NICOLA』は真弓の目に見える世界がほぼすべてですから、彼女の主観においてそういった存在である、と言った方が正しいかもしれません。
『ロリータ』の一文とはいえ、この魅力を発揮できるのは文中で言う9〜14歳の少女に限定されるとは全く思えないし、効果範囲も芸術家気質の年かさの男性のみとは思っていません。
そして本編に描かれている通り、舞台版演者のニコラによる高畠クロエ解釈は真弓のそれと非常に近いです。
彼は他のキャストとは異なる先生につき、日本舞踊の女形の動作などを研究してきています。
続いて少女地獄の嘘つき/虚言癖のお話です。
同じく『NICOLA』の、百花のキャラクター性はここから着想を得ています。
自分を詳しく知る人がいない環境で嘘をつき続け、理想の自分でいようとする虚言癖の少女。
これは『NICOLA』初版時のBOOSTお礼だった冊子に書いた記憶があります。
そういった過去のお礼・おまけの予備や余部がいくつか手元にあるので、次回予定している自家通販に出そうかなと思っています。
百花の虚言は野菊さん・ルリさんには当然見抜かれています。聞いている3人の中で、素直に信じているのは人生経験の少ない真弓だけ。
大人たちには、年下の女の子の誰も傷つけていない嘘をわざわざつついて暴く理由なんて無いですから、
多少自分を大きく見せているんだろうな〜微笑ましいね〜くらいの気持ちで見守っています。
百花に相手を騙してやろうという悪意はまったくありません。
彼女はただ必死で、「本当ならこうだったはずの、あるべき自分でいただけ」です。
24.11.3
中学生のころ、完璧に校則を守っていて成績がクラスで一番良くて、誕生日に両親から贈られた鍵付きのレトロな日記帳をつけている真面目な女の子が、
「あのさ、お話の中のキスシーンって、『ん……』とかいうよね、あれ、本当にそうなのかな」
と俯きながら恥ずかしそうに言ったとき、
うわ!!なんてかわいいんだろう!!
と思いました。
私も彼女と同じ13歳だったので許されたいですが、なんだかこう、心の奥底からこみあげてくるものがありました。
愛おしくて、変わらないでいてほしい気持ちになりました。
たくさんの女の子がいて、それぞれに好きなものや好きな人がいたけれど、生々しい話のひとつもなくて、だから、現実と物語がどう違うのかなんて誰も知らなかった。
エマと咲良の様子、学校での描写にはかなりこの時期の体験が反映されています。
薔薇の女王のお話の中で、一番最初に決まっていた軸となる感情は、咲良の
「エマちゃんが先輩を諦める日が来るなんて思ってなかった」
です。
咲良の信じる、純粋で正しい運命的な世界では絶対にありえないこと。
この動揺に説得力を出すために、それまでのすべての場面があります。
いつかハッピーエンドを迎えるはずの二人が結ばれないのも、"本当の恋"をしていたエマが諦めて心変わりするのも、何も受け入れられません。
現実ってこういうものなんだと目の前に突きつけられ、信じていた美しい世界が足元から崩れていきます。
咲良にとって『薔薇のつぼみの女王のための歌』は、その信じていた美しい世界を自分で再構築する物語です。
二部でエマ視点に移るため、咲良の高校時代~ラストシーン前までの直接的な描写はありません。
けれど、このお話を好きでいてくださる方にはなんとなく分かるんじゃないかな、と信頼しています。
「コミティア150で新しいものは多分ない」と言っていましたが、少しずつこそこそと作っていた卓上ボロヴィニアカレンダーが完成しました。
新規絵はありませんが、非公開原稿の中のお気に入りのシーンを含みます。今日入稿予定です。
なお『倒立する塔の殺人』の装画は権利買取ではありませんので、ピンクの竜と同じく私個人の作家活動の範囲内であれば画集やポストカード等の制作が可能です。
原画展の際、ご希望を頂いていたピンクの竜の複製画が慌ただしくて実現できなかったことが心残りですから、倒立も含めて考えようと思っています。
24.10.31
あまりにもよいドローイング作品が完成し、自画自賛しています。
細々と長く描いている、テーマが明確な子なので描くたびレベルアップしていることをはっきり感じられて嬉しいです。
またひとつ、遠かった幻想に手が届きました。
下描きの段階でとても好みの柔らかなニュアンスが出せたので、それをどれだけ取りこぼさずに仕上げられるかに全力を注ぎました。
こちらです。この日記にだけそっと挟みますので完成品と見比べてみてください。
ここ最近、連続で朝活に成功しています。
2日以上続いた例がほとんどありませんから快挙です。
得意なことは夜更かしで苦手なことは早起きです。
帰宅後に朝4時まで制作するのはわりといけますが、朝4時に起きるのは致命的にきついです。
コミティアに参加する日はたいてい、朝5時くらいには起きており、それがいちばんつらくてあとは楽しいです。
なおコミティアの開場時間は11時、サークル入場開始時間は9時です。
このたび、二次創作の同人イベントは10時開場でサークル8時であるという衝撃的な事実を知り、一生参加できないな……と思いました。
4月編の真弓くらいの時間に起きて遠征してボロヴィニアへお越しくださる方もいらっしゃる中で、これでしんどいなんて言ってちゃだめなんですけどね。
年内に久しぶりの自家通販を予定しています。
コミティア150が優先となりますが、その後を見越してBOOTHから多めに在庫を引き上げました。
(そしてつい先ほど、原画展会場のオンディーヌさんから「水野さんの本の在庫が見つかりました」と連絡を頂き笑ってしまいました ある分には嬉しいです)
今考えているのは、既刊に加えてコミティアからの持ち帰り分のドローイング、それから真弓のお誕生日2024もやりたいので12/20(金)が濃厚です。
本屋さんで『倒立する塔の殺人』に出会えた喜びのメッセージを下さった方、ありがとうございます! 大切に拝読いたしました。
返信ご不要のお気遣いを頂戴しておりましたので、お礼だけ書かせてくださいね。
とっても楽しそうなあなたの気持ちが伝わってきて、こちらまで幸せになりました。
24.10.28
(本の内容のネタバレありません)
というわけで装画のお仕事のお知らせでした!
ピンクの竜、倒立する塔、とすばらしいご縁を頂き光栄に思います。
特設ページで頂戴しましたお言葉に胸を打たれ、同じテーマを貫いてきてよかったと強く感じました。
作家としてのブランディングでそうしているわけではなく、活動初期から描きたいものが変わっていないだけなのですが、人様の目にも確固たる世界が映っていると分かって嬉しいです。
自分の絵が表紙を飾る本が書店で平積みになる未来が待っていることを、中学生の私に教えてあげたいです。
(紀伊國屋書店小田急町田店様のお写真の引用)
SNSで少し話したことの拡大版ですが、『倒立する塔の殺人』は復刊であるため、前の装丁・前の絵が存在しています。
多感な時期にこの物語に触れた、大切な記憶をお持ちの方がたくさんいらっしゃることが想定されます。
ゆえに、「どんなに全力を込めてどんな装画を仕上げるかに関係なく、すべての人が変化を受け入れられるわけではない」という心づもりでお仕事を受けました。
好きは嫌いよりも繊細だと思っているからです。
情報解禁のとき、実はちょっと緊張していました。
蓋を開けてみたら喜びの声に溢れていて、ご存知の方にも初めて触れる方にも新しい絵を歓迎して頂き本当にありがたかったです。
以前の本の表紙は、人物画とデザイン要素が過不足なく美しく合わさった絵です。
読者の自由な想像を妨げず寄り添ってくれて、神秘性や少女たちの気高さを感じ、私もとても好きです。
だからこそ、真似をしたり寄せたりはしませんでした。
私に依頼して下さった意味、ご希望や求められているもの、新装版になって2024年に復刊する意義を考えた上でこの装画を提案させて頂きました。
コミックイラストに慣れている新しい読者の目にも留まるよう、漫画と絵画の中間を意識して普段と絵柄を変えずに描いています。
これはきっと私向けだ、と思える本に出会えたら嬉しいですよね。
真弓にはもしかしたら「ラノベみたいな絵」と言われてしまうかもしれませんが……
(あれは「すごくがんばったのに、大好きなのに落とされた」という事実で大ダメージが入っているため余計に受け入れられないのですが)
そういえばそのことで今回、
「『NICOLA』で真弓が好きな本の文庫版の表紙に応募するシーンを思い出した」
とお話し下さった方がいて驚きました。
私も制作中に同じことを考えていたからです。
すぐこの場面が浮かぶくらい、読み込んで下さっているんだと感激しました。
(『NICOLA』12月編より)
(『NICOLA』1月編より)
もし真弓が将来、何か絵の仕事をするようになったなら、この時失った夢を現実にして過去の自分を助けてあげられる日がくるかもしれません。
装画の件で応接間より喜びのお言葉を下さった方、本当にありがとうございます! しかと受け取っています。
返信ご不要で頂戴しましたので、お礼のみお伝えいたします。書店でご購入頂いたことを含め、あなたの楽しい体験となっていましたら嬉しいです。
24.10.21
ドローイング作品用に重宝していた水彩紙(アルティスティコ トラディショナルホワイト 300g荒目)のポストカードサイズが手に入らなくなってしまい、いろいろ取り寄せて新しいものを試しています。
この紙自体はまだ存在していますから、自分用だけなら自分で切ればいいのですが、カットミスの可能性を考えると原画販売には向かないなという心境です。
私は道具にロマンを求めるタイプで、
ちょっと特別だったり、画材専門店にしかなく一般に普及しすぎていないものだったり
見た目や物語性、それとどのように出会ったか、好きになれるかどうか(使っていてテンションが上がるかどうか)
……の方が機能性や価格より大事に思う場合があり、ときめきでものを選びがちです。心弾む紙に出会えますように。
応接間から素敵なご感想のメッセージを下さった方、本当にありがとうございます。大切に拝読いたしました。
返信ご不要のお気遣いを頂いておりましたので、お礼のみお伝えいたしますね。ちょうど作品の構図の長考が続いていたところに届き、救われる思いでした。
そういえば、初めのころは気軽に送れる匿名感想ツールを置いていました。
その後、専用Googleフォーム(伝書鶯という名前)を作ってしばらくの間運用していましたが、この日記を書き始めたのと同時期に巣を撤去し、応接間ひとつに絞りました。
きっと緊張しますよね、ごめんなさい。
外部ツールと異なり、完全に他者のテリトリーなので送るのにかなり勇気が要ると思います。
そのハードルを超えてお寄せ頂き、本当にありがとうございます。私にとって特別になっています。
このお城に訪れ、時間をかけて文章を考えて、手紙を書くようにあなたの感性で綴って下さっているのが分かりますから、いつも抱きしめるような気持ちで受け取っています。
準備が整ってきました。近々大きめのお知らせがあります。楽しみにお待ち頂けましたら嬉しいです。
24.10.18
最近知った言葉の一つに「ユニコーン」があります。
「アイドルや配信者など好きな女性が異性と深く関わったり性愛の話題を出すさまを忌避する男性」
を笑うニュアンスで使われる、一角獣と処女の伝承に由来する言葉だそうで、
えっ………ある………
私だいぶそれなんですけども……
え???男性だけですか???
あるでしょう………? あると言って………
厄介な思想を持つファンとして蛇蝎の如く嫌われているらしいのですが、私はもしかして化け物のたぐいですか??
ここは私室の机上にある個人の日記なので書きますが、栗山千明さんに握手してもらって爆泣きしていた頃、
下世話なバラエティ番組や恋愛のことを話させる雑誌がほんっっっとうにほんっっっっとうに嫌でした!!!!
見たくないし聞きたくないしでも何と答えているのかは気になってしまってつらかったです!!!!!
なんなら今でも嫌なので、たとえフィクションでも観るものは選びます。
ドロドロしていそうで濡れ場がありそうなドラマは観ません。男性とのキスシーンもいやです。演技と分かっていても。
比較的最近、「姉妹が一人の男性を取り合う」という内容のドラマに姉役で出演していましたが、上記に該当していたので触れませんでした。
さらに言えば二次元でもいやなので、もしセイレーンちゃんに突然「故郷に彼氏がいる」とかいう設定が付与されたら筆を置いて爆散します。
とはいえ、不快だからといってクレームをつけるなど、相手を変えようとする行為はしません。
なぜなら千明ちゃんもセイレーンちゃんも他者であり、私の思い通りに動かなくて当然だからです。
けれど殻に閉じこもって静かに一人で悲しくなるのは許される世界であってほしい……
何もしていないのに、その殻をこじ開けてまで笑われる世の中になってしまったらつらいです。
私はこの感性を持つことを自分に許していますし、同じ気持ちのあなたがもしこの日記を開いていたなら、私が許します。
そもそも、青い衣がアトリビュートの世界一有名な女性が"処女懐胎"な時点で、
人類の処女信仰、穢れ無き者への礼賛の歴史自体が今に始まったことではなさすぎて、あまり「ユニコーン」を特異な存在だと思えないので笑う側にいまいち共感できません。
質問といったら必ず「好みのタイプは?」があることも、それに答えているところを見るのも心がざわつく方なので、
好きによって傷ついた誰かに「全てを受け入れてこそファンだよ」などという言葉をかける日は今後も来ないでしょう。
24.10.14
用事を済ませ、日の短くなった秋の夜に一人で外を歩いていて、ふとイヤホンの向こうのYouTubeで自動再生された曲が「なんだかエマだな」と感じた途端、
急に目の前の景色が大人になったエマの視界になって、胸が締め付けられるような彼女の恋慕と喪失が重なって、どうしてか涙が止まりませんでした。
走って帰ってきました。あまりない体験です。この曲はいつか紹介しますね。
中高生時代のエマは、新菜先輩のことなんて何もわかっちゃいなくて、勝手に空想して聖女扱いしてきゃあきゃあと好きだなんだと仲間内で結婚式の絵なんか描いて、
生身の人間をキャラクター化したお人形遊びだと言われたらその通りで、迷惑極まりない自己中心的な少女だったんですが、
彼女自身は本気で、すごくすごく好きでたったひとり先輩だけがずっときらきらしていて目で追ってしまって、心臓だけ別の生き物みたいに痛んだり早鐘を打ったりして、
日々の何気ないことがみんな先輩に結びついて、毎日に色がついて高揚して幸せも悲しいも苦しいも全部ある、純粋な本当の恋でした。
他でもないエマ本人が恋だと確信していたから。
以下、ラストシーンの一部のネタバレ含みます
いつかの日に、みゆと二人でカラオケに行ったエマが、ただ履歴に入っていて(あーこれ好きだなー)と歌い始めたその曲で、突然ボロボロと泣いてしまう姿が浮かびました。
14歳のエマはまだ自分のことしか考えられなかったから、中学の5人でカラオケに行けばマイクを手離しませんでした。
恋愛ソングを入れ、感情移入して歌い上げて感極まって泣く姿を見せて、自分に酔って思いの強さを示して注目を浴びたがる女の子。
一方、大人のエマは、
新菜先輩を好きだったこと、自ら壊してしまって二度と戻らない時間、あの頃の輝きが不意打ちで蘇ってしまい、下を向いて
「ごめんね、なんかいきなり、」
と言ったきり言葉にならない。
二人で手を繋いで笑い合っている未来を信じていたんだった、あまりにも純粋すぎた、ピンクのハートの女王様の首を絞め殺して、大人になって全部失って汚れて違う道に来てしまったと思ったのに、
今でもこんなに簡単に引きずられて、先輩が目の前に現れて笑ってくれたら何もかもを放り投げて彼女の手を取る、なんてばかげた美しい想像が生まれてしまうんだ、ああ、好きなんだ、まだ好きなんだ。
他人の気持ちを考えられるようになり、自分の心を伝えるのが上手になっても、エマ自身にしかわからない感傷がある。彼女の生きてきた経験と時間が形成する、鋭く胸を刺す切なさがある。
それを誰かに説明することはできません。彼女だけの孤独だから。
けれど、「なになに? 話してよ」などと言わずにエマの涙を隣で静かに見守ってくれるみゆの存在そのものが、
目の前の相手を大事にできていて、対等な関係を築けていて、今の生き方で間違っていないと教えてくれます。
24.10.11
オタク用語としての「ビジュがいい」「顔が好き」は基本的に肯定派です。
この言葉が市民権を得たことで、
見た目が好みという理由で何かを愛する気持ちは、もう後ろめたいものではなくなりつつある
と感じるからです。
本当は造形に惹かれているのに、それをいけないことのように恥じたり嘘をついてしまうくらいなら、
「私は推しの顔が一番好きなんだ」「他にも同じ人がいるんだ」と納得できた方が幾分か楽なんじゃないかと思います。
ことキャラクターは、外見を選んで生まれてきます。
作者の祈りや物語上の役割がビジュアルに表れており、ほとんどの場合、そのキャラの精神性(つまり中身)と見た目の印象は直結しています。
たくさんの工夫が込められた存在に対して、造形が好みは素敵な誉め言葉だと感じます。
例えば、私の作品でエマは魔法少女、咲良は70年代の少女漫画というキャラクターデザインテーマがあります。
「こんな印象にしたい」と「描いていて楽しい」が両立した愛しい少女たちですから、見た目が好きと言われたらとっても嬉しいです。
ところで、私が綺麗なお姉さん枠に入れているキャラクターのひとりに、ストレートの長い黒髪をポニーテールにした人物がいます。
自分でわかっているのですが、これは初めて強く憧れた学校の先輩と同じ髪型であり、ちょっと重ねている部分があるので、このキャラはビジュアルが違ったら好きになっていません。
私の何も知らない子供の世界を終わらせ、正と負どちらの感情も持つ少女としての最初の時間を一緒に過ごしてくれた先輩の、高く結い上げられた隙の無い美しいポニーテールはほとんど信仰対象でしたから、それはまあ……そうもなります。
そのキャラが活躍する新しいシーンが、楽しみな反面怖かったです。
私の中ですでに固まってしまっている、大好きな先輩に近いイメージから乖離したらと思うと不安でした。
永遠に完全無欠でいてほしい願いを持て余し、皆が盛り上がるギャグテイストのお話が本当はさほど得意ではなく、学校では見たふりをしてやり過ごし、
少し冷えて霧がかった冬の朝の白蓮のような、その人の神秘的な空想を抱きしめて眠るなど、繊細な時期もありました。振り返るとかわいいですね。
この四冊目も文量のたっぷりした日記帳となり、そろそろ重たくてスムーズに書けなくなりつつあります。原画展の思い出だけまとめて分冊を考えています。
→有言実行しました。
「原画展の記録 九日間の聖域」
24.10.4
この企画のお話 の続きです。
私の"中学のクラスメイト"になって下さって本当にありがとうございました。
ここからは少し、私の話をします。
企画概要ページでは、まるで当時に楽しい思い出しかないかのような書きぶりですが、実際は決して幸せなことばかりではありませんでした。
絵を描く子の間には、どうしても上手い/下手の序列が存在していたからです。
私は技術的に劣った方で、中学一年生でアクション漫画をバリバリ描いている同じクラスの子に
「目が下すぎる」「手描けないの?」
と絵の欠点を笑われ、人に見せられなくなるほど弱い女の子でした。
クラス替えで離れたため、ずっとその環境だったわけではありませんが、仲間内で権力を持った子に指摘されてその通りだから言い返せない苦しさを今でも覚えています。
数学のテストの問題を間違えたわけではない、楽しいはず、好きなはずの趣味でやっていることなのに。
企画の趣旨が「上手い絵が欲しい」ではなく「楽しく描いてほしい」なのは、この痛みを知っているからです。
単に世間的な評価の高い作品を求めているなら、クラスの子ではなくて私のことを何も知らないプロの方に頼めばいい。
私がしたいのは、そうではなくて、中学の教室で、大事な友達の喜ぶ顔を想像してその子の好きなキャラを描く(という設定で遊ぶ)ことでした。
そうして頂いたみなさんの絵は、私にとって最高に愛おしく、価値あるものになりました。
セイレーンちゃんの絵がほしい!!!という満載の下心からスタートした企画がこんなにも楽しくなり、参加してくださった方の幸福な思い出になるなんて、踊りだしそうな心地です。
性善説で進めすぎて想定外のことも起き、「第二回やるって言ったけど流すか……」と考えたタイミングもありますが、今後も企画ページに書き記したスタイルで細々続けたいと思っています。
「参加したかったけれど一緒に漫画の感想を送ろうとしたら時間がかかり その間に満了してしまったので感想だけ送ります……」
というメッセージを頂いたり、
原画展でも「(セイレーンちゃんの)練習しています」とお声がけ下さった方がいらしたり、もう、絶対第二回をやるぞと思うに決まっています。
あと少し待っていて下さいね。
24.9.27
私は「セイレーンちゃん観ました」とお伝え頂けるとその日一日どころか二週間くらい元気でいられるんですけども、
急に「あなたの推し観ました」と言われたらうわ怖……と思われる可能性も考慮し、大丈夫という確信がない限りは直接声をかけないようにしています。
が、人様の好きなコンテンツに結構触れています。それだけに集中する時間の確保は難しくても、制作や作業のお供として楽しんでいます。
そういえば、学校の憧れの先輩から男性キャラ四名が登場する同人誌を借り受けたとき、特別輝いて見えたことを思い出しました。
「先輩が好きな本だからこれはとても素敵なものなんだなあ」と最後まで読み、「先輩が好きな本だからとても素敵だったなあ」と感じました。
分厚くて大きな本を、良い香りのする柔らかい布とクッション材に包み直して、先輩の楽園の余韻に浸り、幸せでした。
大事にしていると知っていたから、私に貸して下さった事が嬉しかった。
見つかったからとはいえ咲良がエマだけに自分の世界を打ち明けたのと同じで、好きなものは心臓に近い位置にあって、誰にでも見せたりしないから。
冒頭に戻って、人様の好きな子が愛おしく感じるのは、前提としてその人を好ましく思っていて、感性に信頼しているところや共感ポイントがあるからなのでしょう。
反対に、これはちょっと残念ですが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎く感じてしまいます。
学校には素敵な先輩だけでなく、トラブルを起こしてばかりの苦手な同級生もいました。
時が経ち、もうすっかりどうでもいいのに、その子が崇めていた有名漫画は今でも全然読みたいと思えません。
慕う先輩が大切にしている同人誌の方が、ずっと好きだし興味があります。
一つだけ疑問があるとすれば、先輩も18歳未満だったのに、成人向け描写のあったその本をどうやって手に入れたのかということですが…………
私にとっては幸せな思い出でも、先輩からすれば忘れたい過去かもしれないので、再会したとしても向こうから言われない限り何も覚えていないふりをするつもりです。
ところで、「知人友人の好きな人物/コンテンツは好感度こそ高いが、決してのめり込む対象にはならない」ということ、ありませんか?
私はあります。これはセーフティ機能が働いているのだと考えています。
すでに相手の大事な存在なので尊重したいとか、同じ領域を踏み荒らしたくないとか、平和のためとか、様々な理由が絡み合っているのではないでしょうか。
経験で獲得した無意識の理性のように思います。
ずっと感じていたものの、今回初めてこの感覚を言語化しました。まだ掘り下げられそうです。
応接間から頂いたご感想拝読しています。本当にありがとうございます。
原画展関係が落ち着きましたのでフォームを元の姿に戻し、久しぶりにお返事を書きました。
24.9.16
まとまった時間を作り、原画展の荷物をすべて片付け終えました。
ペンの一本に至るまで部屋にあるものを全て並べ、要不要を一つずつ判断し場所をあけていき、上から下まで掃除して家具の位置も移動、
額装された絵の保管場所を確保し、新しく増えた道具をしまい、15時間ノンストップの作業でほぼ完璧と言える状態までたどり着きました。
部屋にあるもののうち半分以上は、作家活動をしていなかったら必要がない物品なので結構収納に苦労します。ロリィタさんがお洋服の保管場所に困るのと同じですね。
原画展準備中はそれ以外のことを考える余裕がなく、汚れてこそいないけれど散らかってはいました。堆積した書類の山から納品書を引っぱり出したり……
今回しばらく困らないよう徹底的にやりました。過ごしやすくなったので、これをなるべくキープしたいです。こうして徐々に日常に戻りつつあります。
作業しながら考えていたことです。
真弓の、自分は芸術を理解していて高尚な側の人間である。「アニメキャラに扮したイケメンにキャーキャー言ってる人」と一緒にされたくない。
というプライドと、
百花の、自分は役者であり演劇がわかっている。演者のパフォーマンスを見ている。顔にしか興味のない軽薄な奴らとは違う。
というプライドが噛み合ったのは、二人にとって幸せなことでした。
それまで外に出さずどこにも書かず一人で守っていた心を、笑われることなく奇跡的に共有できたから。
私はこの、何かを愛することと内に秘めた自己愛の関係がとても好きです。
最終日の思い出がなかなか書き上がりません。
長文化しているトピックが二つあるのと、全部書いたら本当に終わってしまう気がするからです。
応接間からのメッセージありがとうございます!
しかと拝読しています。
個人サイトなので言いますが、家族の寝静まった夜に真弓や咲良が自室で祈りを込めて書いたようなメッセージが届くことがあります。大好きですし嬉しいです。
また、委託通販に切り替えたことは私にとってメリットとデメリット両方ある大きい選択でしたから、到着のご連絡やご感想を頂き感激しています。これは後日SNSでも少し話すかもしれません。
24.9.6
読書会での川野さんのお話に通じますが、私は人間の、善くあろうとするところが好きです。
例えば『NICOLA』の主人公の真弓は、存在自体がしんどくなってしまうほどうらやましい子への気持ちを自分の中に押し込めて、直接本人にぶつけなかった。
ちえりちゃんの過去の仲間のように、攻撃行動も起こさなかった。
真弓が良い子の長女育ちで、いつも言うように悪者になれないだけですが、どんなにボルテージが上がったとしても「一時の感情で行動したら後悔する」と理性で分かっているからブレーキがかかる。
負の感情も持っているけれど、常に正しくあろうとしている。そういうところが好きです。
自分を抑圧する傾向があり、高潔な正しいファンでいようと考えるあまり苦しむ場面も見受けられました。
しかし、そのおかげで事務所に事実を報告したのみに留まった。ニコラ本人に何も言っていないしちえりちゃんにも何もしていないから、遺恨が残らなかった。
一生の後悔になってしまった行動はない。自分の善性が自分を救った。幸いでした。
搬出の翌日からすぐ現実世界に戻らなければならず、ギャップの激しさになかなかついていけませんでした。
そういえば、原画展で話した私の印象として
「気さくで仕事ができそうな女性」
と書かれていて驚きました。
(すみません、後から照れが勝ったのでRTだけ消してしまいましたが、内容自体は構いません。ここを見ていても気にしないでくださいね。大丈夫です!)
驚いた理由は自認と異なるからです。
私は、人と話した後に一人反省会をしなくなるまで10年かかりました。
"ここではないどこか"ではなくこの人間社会に生まれてしまい、ここで生きていかざるを得なかったから、自分の心を守るために笑い方すら直しました。
幼いころって、誰かのお誕生日など、多くの子がひとりのおうちに集まる機会がありましたよね。
そういうときにお友達と一緒にワイワイ遊ばず、じっと熱心に本を読んでいる子でした。
だって、他人の家には、自分の家にはない本が並んでいるんですから!
私には宝の山のように思えました。
「お友達と遊ばないの?」と大人に聞かれても「うん……」と生返事。帰る時間になっても本に夢中。
大人に近づく道のりで外と内、他者と自己、現実と幻想のバランスがとれるようになっただけで、本来の性質はこれなんだなと振り返るたび感じます。
その折り合いまでに何度も失敗し、悪い自分を変えなければと試行錯誤を重ねては、全然好きじゃないし私に優しくない外の世界の価値基準に魂を明け渡したことが悔しくて涙をこぼしていました。
もがいてきた過程は私自身しか知りませんが、この国を訪れる感性を持つあなたはきっと、近いご経験があるのではないかと思っています。
話を初めに戻しますが、調和のための努力はひとまず実っていたと捉え、少し気が楽になりました。
今も全然完璧ではなく、己のふるまいを反省する機会は多々ありますが、繊細な痛みを理解できる心を持ったまま社会に適合している(ように見える)ならば、長く苦しんだ意味があったのでしょう。
これからもどうにか、私たちを失わずに生きていきたいですね。
ここに書いていた、原画展での出来事やお話はひとつにまとめて分冊しました。
「原画展の記録 九日間の聖域」