日記帳六冊目
- 水野みやこ
- 2 日前
- 読了時間: 19分
25.5.22
すっかり夏になってしまいましたね。
四季なんて嘘で5月から10月まで夏で、それも、じっとりと湿気が体を這うような重さで、もうここは亜熱帯ではないですか?
青空、木陰の涼しい風、クリームソーダ、部活帰り……みたいな爽やかな夏って、まるで皆が青春に置いてきた切なくて眩しい共通体験のような顔をしているけれど、実際はけっこう概念で幻想ですよね。
「個人サイトで漫画作品を読んでいる」というメッセージを頂きあたたかい気持ちになりました。ありがとうございます!
どこでお読みいただいても嬉しいのですが、投稿サイトと違って、基本的に私以外の都合で消えませんから安心してお越しください。
年単位の長い時間が経ったので、そろそろ書いてもいいでしょう。
過去、『NICOLA』のご感想とともに、「推しが引退・卒業した」という内容を含んだおたよりがちらほら届きました。
お名前こそ書かれておらず、未だにそれぞれがどなたのことかは分からないものの、その中のいくつかは語り口が近く、もしかしたら同じ人のことを言っているのでは?と感じていました。
心の柔らかい場所に住んでいた大きな存在が消えた空洞を抱え、それでも容赦なく続く現実を生きる方々の言葉は私の胸を締め付け、とりわけ、
「人間であることが露呈する前に死を選んでくれてよかった」
が刺さりに刺さって忘れられません。
ごめんなさい、急に不穏になってびっくりしましたよね。でも私、これがとても好きだと思ったんです。
つまり、ニコちゃんが天使のまま引退した、みたいなお話で、
「長く芸能活動をして人前に出続けるうちに、どうしても生身の人間くささが隠せなくなるものだから、そうなる前に消えてくれて、私は心のどこかでよかったと感じている。天使のまま永遠になったと思った。」
ということです。
ご感想やお手紙を拝読してその人の感性に触れたとき、「ああ、真弓は本当にいるんだな」と思うことがあるのですが、まさにその一つでした。
25.5.12
過去にSNSで短時間公開した、漫画の制作手順が出てきました。
後日移動させるかもしれませんが、今は日記に挟みます。


(シーンは『薔薇のつぼみの女王のための歌』第二部より)
NICOLAの続編と個展への喜びのメッセージ、しかと拝読しています。ありがとうございます。
私の個人的な楽しみでもありますが、こうして一緒に楽しんでくださる方がいるんだなと感じて心強いです。
また、日記のページを少し整理しました。
『NICOLA』が、「完結して時間が経った作品」から「続編を制作中の作品」になったからです。
作品として昇華するため、しばらく口数少なめにしようと思います。カットした内容はいつでも復活できるよう手元に控えてあります。
本当は過去の手記等をすべて確認して細かく判断したいのですが、その時間をとるのが難しいため、ひとまず今のまま綴じておきます。
個人サイトの好きなところの一つは、能動的に読みたい方だけが開いていると確信できるところです。
25.5.6

NICOLAの続編を描き、冬に個展も開催します。
年末、この日記に
" 2025年は『NICOLA』の年にしたい "
と書いたのはこのことです。
SNSではまだ話していませんが、個展タイトルも私の中では決まっています。メインビジュアルが完成した頃に発表予定です。少し先になりますが、続報をお待ちください。
日程は、12/9(火)〜12/21(日)の約2週間分を仮押さえしてあります。(これもまだここだけの話です)
真弓の誕生日(12/20)を日程に入れたくて、このようになりました。
とはいえ私の現実のスケジュール上、この日程のすべてを充てるのは難しいため、おそらく初個展と同じように初日が土曜で全9日間くらいが最大ではないか……と現時点では考えています。
水面下でもっと準備が進んで、絶対いける! くらいの段階で発表した方が格好良かったとは思いますが、この作品を描き始めた時と同じ「退路を断つ」作戦に出ることにしました。
人前で言ったのでもう後戻りできません。完璧じゃなくても、とにかく描き始めて出すしかなくなりました。すばらしいです。
自分の夢を叶えるため、そしてこの作品を愛してくださるあなたに楽しんでほしいから、がんばりますね。
11月末を目指すとなると時間があるように思えますが、案外そうでもありません。
去年の夏みたいに準備で半死半生にならないよう、どちらもこつこつ……計画的に……できるのが理想です。
25.4.23
の募集を開始しました。
応募締切は4月27日(日)です。
先着順ではありませんので、参加をご検討くださる方はどうぞごゆっくりお考えください。楽しく遊んでいただけたら嬉しいです。
勢いで始めた初回の反省を活かし、今回はSNSにお知らせを出さず静かに進行しますから、抽選は必要ないと思っています。
とはいえ、後から切り替えたくても難しいため「応募が楽、抽選前提、不要になっても無駄がない」仕様にしました。
ランダム番号自動発行の仕組みを作るにあたって、今まで触れてこなかった分野の勉強になりました。またいつか舞台裏のお喋りをしたいなと思います。
25.4.21
それでは、忍たまだったころの話をします。
小学校一年生と二年生の二年間を、私はたくさんの忍たまたちの一人として過ごしました。
学年のテーマが「忍たま乱太郎」で、日常的に配られるプリントから、遠足のしおり、体育祭のダンス、文化祭の発表や劇まで何もかもが忍たま一色だったんです。
以前、マラソン大会の話題を出したことがありますが、その練習がんばりシートも忍たまでした。
校庭を一周走るごとに1マス塗れるルールで、順調に進めば真ん中に描かれているお城にたどり着けました。
早い子はクリアしていたけれど、ちょっと私には難しかったです。運動が得意とは言えなかったので。
体育祭で「勇気100%」を踊る、忍たまの衣装も自分たちで手作りしました。
体を覆うほど大きな青い半透明のビニール袋に、好きな色のペンで絵柄を描き、紙を貼って、オリジナルの忍者服にするのが楽しかった。
頭が通る穴をあけて、すっぽりとかぶり、腰のあたりをひもで縛るだけの簡単な作りですが、とってもわくわくしました。
普段はもったいなくて使えない、オーロラやキラキラの折り紙で手裏剣をつくり、大事に握ってダンスに挑みました。
文化祭では、みんなで手分けして本物の忍び道具を準備しました。
五色米(暗号を伝える道具)とか、
かぎ縄(高所を登る道具)とか、
水蜘蛛(水上を渡る道具)とか。
私はかぎ縄のチームで、学校のワークスペースに円になって座り、初めて触る藁で縄を編みました。
もちろん大人の手を借りてのことですが、アニメを模したごっこ遊びにとどまらない、本格的な展示を行いました。
秘密基地に憧れる年頃に、あふれる冒険心が刺激されてずっとドキドキしていました。
そんな感じで、二年間を忍者の卵として過ごしました。そして、何かにつけ先生たちが
「忍たまたち、行くぞー!」
とか、
「忍たまたち、がんばるぞ!」
と、私たちを忍たまとして扱うので、みんな本当に自分たちのことを忍たまだと思っていました。
だから今も、親しんでいた一年は組(乱太郎・きり丸・しんべエのクラス)を見かけるたび、懐かしい同級生のように感じます。私だけ先に大人になってしまった寂しさすらあります。
やがて我々「は組の子供たち」は、離ればなれになると知らされました。三年生に進級すると同時に、半数の子が新しくできた小学校へ移るから。
この年頃で、今そばにいるお友達とさよならすること、知らない場所に行くことはとても怖いです。
もっと幼ければ理解できなかったかもしれませんが、意味がわかり、想像もできる年齢になっていました。
小さく無力な私たちは、それでも、どうにか大きな変化を受け入れる覚悟ができました。
みんなに慕われていた女性の先生が、二年生最後の学年集会で
「忍たまたちよ、離れても心は一つ!」
と高らかに宣言してくれたからです。
時が過ぎ、高学年になり、卒業の足音が聴こえてくる春のこと。
一年生が作った紙のお花を胸に飾って迎えた「六年生を送る会」の日、懐かしいその先生が、私たちのために駆けつけてくれました。
そしてマイクを片手に少し涙声で、
「忍たまたちよ、離れても心は一つ。この言葉を覚えていますか?」
最高の送辞に、特に女の子はみんな泣いていました。こうしてはっきり覚えているくらい、優しく温かくて嬉しかった。
以上が「本当に忍たまだったころの話」です。
なお、小学校三年生から四年生の学年テーマは「名探偵コナン」でした。
文化祭の劇もコナンで、「忍たま」と同じくらい「コナン」に親しんだはずなのに、自分をコナンくんの同級生だと思い込むことはありませんでした。
コナンが学園ものではなく、自分たちを重ねにくかったのも、きっと理由のひとつです。だけどそれだけじゃない。
10歳を迎えようとする私たちは、もう妖精が見えるような幼い子供の夢の世界から脱していた。すでにフィクションと現実の区別がつき、ネバーランドには二度と戻れなかったからだと、私は思っています。
25.4.14
高畠クロエのアクリルスタンドはこの世に11個しか存在していません。そして、そのうちの1つは私が持っています。

「締め切りに追われ続けるリアルタイム連載中に作ったとは思えないから、さすがに翌年だった気が……」
などと記憶を改ざんしかけていましたが、入稿データを見たら2020年7月に作成されていたので確実に連載中です。
よくそんな時間が取れたなと、過去の自分のパワーに感心してしまいました。どうしてもやりたくて叶えたんですね。
もし今もお手元に置いて下さっている方がいらしたなら、もうそれだけで私は幸せな作家です。
「キャラが実際に使っていたり、作中に登場するアイテムの再現グッズが好き」という声をよく見かけます。私も好きです。
そして、「(アニメなどの)公式はどうして、そういうのを出してくれないんだろう」といったポストに多くの共感が寄せられているのも目にします。
確かにそう。
なぜなのかちょっと考えてみます。
ひとつに、制作コストと時間がかかりすぎるからではないでしょうか。
再現アイテムと言われるもののほとんどは、造形から作る必要があります。ブロマイドやポスターなど、それ自体の形は決まっており、絵柄のみに注力できるグッズに比べてはるかに大変。
次に、欲しいと言う声はあるが思ったより売れないんだろうな、と想像できます。
マクドナルドがアンケートをとると「ヘルシーな野菜のメニューを増やしてほしい」という意見が多数なのに、実際に売れるのはジャンキーなビックマックであるのと同じ。
キャラクターの顔が大きくプリントされた、華やかで分かりやすいグッズの強い希求力には敵わない。欲しいと買うは違う。
「企業の目的の一つは利益の追求である」
と、私たちは公民の授業で習いました。
現実社会は基本的に、これに反する行いをしません。従業員にお給料を払い、会社の経営を続けるためにも、赤字になるリスクを積極的にとることはない。だから、採算の合わない作中プロップの再現グッズは出しにくい。
私は結構こういうことを考えるのが好きです。
正解かどうかはさておき、「みんな〇〇と言うのに実際は××」のズレの間にあるものを想像するのが面白いです。
あなたの好きなコンテンツで、これは造形から完全オリジナルだな、と感じるものが登場したならば、公式に資本力と体力がある証拠なのでまだ長く楽しめると安心して良いのではないでしょうか。
目的のページに辿り着くまでに必要なタップ・クリック数の削減のため、サイトメニューの構成を変更するなど、そこそこ大胆に手を入れました。
漫画の文字数を一文字でも削って読みやすくするのと同じで、受け手のストレスを減らす工夫は、時間を使って訪れてくれるその人への思いやりと同義です。
私は個人なので、他者への思いやりと、自分のこだわりのバランスを大事にしたいな、といつも考えています。
もしここが企業の公式通販サイトであるならば、問答無用で真っ先に門を撤去します。先ほどの「利益」につながらない、余計な1ページを減らせますから。
が、門は少女の国ボロヴィニアのコンセプトを司る場所であり、私は会社ではないため、よほど強い理由がない限りこの先も手放しません。
字数を減らすために言い回しを変えても、真弓やエマや咲良のキャラクター性が出る台詞を削ることはありません。
25.4.12
先に簡易版で公開していたご依頼案内ページと、年単位でそのままになっていた各所に手をつけ始めました! すばらしい!
本日更新した分だけで丸一日かかりました。
元気が残っていたら明日も続けます。
お手数ですが、もしリンク切れ・誤字脱字・レイアウト崩れ等を発見されましたら、応接間からお知らせ頂けますとたいへん助かります。
これは趣味嗜好の話ですが、私はセイレーンちゃんに綺麗なお姉さんとしての魅力だけでなく海の生き物の底知れない恐ろしさを感じているため、急に怖くなる回が大好きです。
おっとりして穏やかそうで、相互理解が可能と思わせておいて、人間とまったく異なる感覚を持ち肝心なところで話が通じなさそう。
女の子の顔の中央を走る、目立つ飾りがついているのも挑戦的で最高です。
これがあるからミステリアスな印象が格段に強くなる。表情をしっかり見せる必要のある、メインの味方キャラには採用しづらいデザインだと思います。
このリボンはセーラー戦士に変身するときのティアラの変形だそうなので、私が彼女の人魚姿を(空想で)描く時はつけていませんが、敵側だからこその薄暗い魅力があって惹かれます。
遅ればせながら、ちえりちゃんのお誕生日にメッセージをお寄せ頂きありがとうございます。しかと受け取りました。
ほぼ全編が真弓視点で進行し、9月の百花以外の人物を主体的に描くことができない中で、
ちえりが現実の"推し活"や生き方に影響を及ぼすほどの存在感と魅力を持つ女の子になれていたなら、こんなにも嬉しいことはありません。
また、素敵なファンレターを送ってくださった方、大切に拝読しました!
ボロヴィニアは祈りを託されても潰れない国です。あなたのお心は城の庭園にそよいでいます。自分の世界を守って、その花で傷口を飾り、どうにか生きていきましょうね。
近ごろ、あまりこういうことは言っていなかったので少し照れくさいですが、各所更新に伴い過去作品を見返し、改めて初心を大切にしようと思いました。
25.4.7
欲しいものは その眼にある
碧くて遠い 水の底のような哀しみ
思うところあって、「ディレッタントの秘かな愉しみ」を近ごろ頻繁に聴いていたので大当たりして嬉しい~! の気持ちです。コンサートの話です。
かつての通学路に、本屋さんとCDショップが併設された、二階建ての大きな路面店がありました。そこにアリプロのCDアルバムが、当時最新のものからかなり前のものまで並んでいました。
ジャケットを眺めてうっとりして、裏面の曲名をなぞって言葉だけで想像を巡らせ、「おこづかいがたまったら次はどれを買うか」と考えるのが楽しかったです。
バイトもできない子供にとって、3,000円はそう頻繁に出せる金額ではありません。
だから余計に特別でした。一気に自分のものにできないからこそ、一枚ずつ大事にレジに持っていくときの高揚と喜びを覚えています。
……という書き出しから始まる、激重長文手記がそのうち単発記事で上がります。
全然あの、いつもの日記くらいの調子で綴り始めたんですが、あんな思い出もこんな思い出もと欲張りになってしまい、それなら三年半前に発行したギャレット家の画集に書いていた「少女時代の区切り」の話もここで形にしてしまおうと思い至りました。
せっかくなら絵も付けて豪華にしましょう。
ところで、ちょうどそのギャレット家の画集と同時期に描いたアリプロの素描が出てきました。
お手元に置いて下さる方がいらっしゃいましたらお譲りします。私がしまい込むより、そのほうが絵も幸せだからです。

こちらです。
オリジナル作品ではないため、値段をつけるわけにはいきませんが、BOOTHの最低出品可能価格100円+匿名配送料370円 の合計470円のみご負担願えますでしょうか。
ここに置きました。
(追記:お譲り先が決まり、リンクを削除しました)
この日記を開いていらっしゃる時点で私にとって一定の信頼に足る方ですから、ぜひもらって下さい。
ただ、ひとつだけ条件を出します。「アリプロの曲を、今までに一曲でもCDや配信でお金を出して購入したことのある方」へお譲りしたく思います。
25.4.4
本当はすごく嬉しかったです。
「!」を20個つけたいくらい。
この何もかもが価格高騰した世の中、今まで通りの日々を保つだけで大変なのに、それでも絵が欲しいと思って頂けることがどれだけ貴重か!
ボロヴィニアを愛してくださる方の情緒や精神を感じて、喜びで満たされました。絶対素敵な作品にして応えたいです。
今SNSでは、何を話すかより何を話さないかを選んでいて、冷めて見えたらごめんなさい。内心は感謝でいっぱいなんです。それは誰にでも見えるところではなく、個別のメッセージに込めています。
一枚一枚に時間をかけたいため、一度に多くのオーダーは受けられませんが、来月以降も同じスタイルで続ける予定です。
今回はかなり久しぶりで、復活第一回ですから、支払い方法の選択肢をデフォルトのまま募集しました。
次回は即時決済のみ(コンビニ・銀行決済は不可)とし、以降、交互に切り替える予定です。
これはお外では言わないことですが、入力の手間がない分、コンビニ・銀行決済を選ぶほうが通販戦争になった場合有利なんですよね。
しかし店主側からすると、
・本当に払ってもらえるのか不安なまま過ごす
・即時決済の方が結果的に不利になってしまう
といったデメリットがあるため、どんなときも歓迎とはいきません。実際、支払い期限切れキャンセルは想像よりも相当多いです。
私の作品を手元に置きたいと思ってくださる方のことは信頼しており、今まで一点ものでトラブルが起きた経験はありません。
とはいえ、実質「一旦キープしておき、数日考えてやっぱりキャンセル」ができてしまうシステムである以上、近ごろは一点ものの販売の際、注文後払いを選択できない設定にしています。
もちろん、セキュリティ面などを考えて、あえてカード等を使わない方もいらっしゃいます。
なるべく偏らず、どなたにも機会を持っていただけるように、オーダードローイングでは即時決済のみと注文後払いOKを交互に切り替える形が望ましい。という結論に落ち着きました。
おそらく、切り替えのことはSNSでは話しません。
説明が長くなりますし、真摯に書いたとしても、それだけ買えない人が出たという自慢のように見えてしまうからです。
そして、しばらく触れられなかったファンアート交換企画のことですが、いま水面下で「先着順ではなく抽選で、応募人数や他の参加者の名前は見えず、なるべく透明性の高い方法」を考えて形になってきました。
楽しくできる安心感をベースにして始めたいので、あと少しお待ちください。
「真弓をねぎらいたい」という素敵なメッセージを頂き、深く感激しました。
2025年の3月31日は、彼女が『NICOLA』の原稿を完成させた日です。
自分自身は何も変わっていないのに社会的に大人の女性とみなされ、急に周囲からの要求水準が高くなっただけでなく扱いまで変わり、戸惑いの気持ちが消えないまま彼女は社会人三年目になりました。
後輩ができたかもしれません。真弓は長女気質ですから、「私が頑張らなきゃ」というシチュエーションに立たされると力が湧いてきます。
年下の世話を焼こうとするし、いいお姉さんでいよう、好かれようとする傾向があります。ちえりちゃんの前でそうであったように。
最初は後輩も安心して、学生気分のまま「真弓さん大好きです!」などと言うけれど、だんだん周りが見えてきたころ「ちょっと距離近いな」とか「他に話す人いないのかな」なんて思われて避けられるかも。
なんだか暗い話ですが、それでも10代の頃よりは「もしかして嫌われた……?」と感じた時のダメージが少ないでしょう。
その不安を何度も反復して、自罰的になってぐるぐる考えて、何がいけなかったのかと苦しんで胃を痛めている少女だった真弓も、「他人は他人であり、必ずしも望む反応が返ってくるわけではない」と言葉ではなく経験で理解し始めているからです。
25.4.1
年度末で大忙しだったためエイプリルフールも特に何もないのですが、私が忍たまだったころの話をそのうちします、とだけ書いておきます。
嘘でも冗談でも比喩でもなんでもなく、本当にそうでした。忍たま乱太郎のブームが来ているらしい今、とても懐かしく感じています。
25.3.29

五冊目の日記の中でお話した、画像整理で出てきたデータです。2022年1月の日付が残っていました。
『薔薇のつぼみの女王のための歌』創案中の咲良です。ノートの端に思いつきのように描いた、ざっくりしたラフの幼く純心で柔らかくて少し神経質そうな雰囲気がとても気に入って、このバランスをもとに彼女を作りました。
右の立ち絵の方が、左よりも前に書いたものだったはずです。作中よりも頭身が高いですね。155センチくらいありそう。
エマはと言うと、最初の1ページを描いたとき、まだハートの髪型ではありませんでした。
ボツ原稿も手元に残っています。箱の中の大量の紙束の間のどこかにあって、出すのがとても大変なのでまたいずれ……
その時のエマは猫のようにちょっと縦長の瞳孔で、髪を結う位置も上のほうで、今より気が強そうでした。けれどなんとなく、その姿が彼女の魂とぴったりとはいえないなと感じて、そこで手が止まってしまったんです。
ああでもないこうでもないと考えてもしっくりくるエマにならなくて、しばらく放り投げ、やがて彼女のほうから呼んでくれたみたいに突然ハートの髪型を思いついたとき、私の知っている少女になりました。
25.3.25
「友人にメッセージアプリで『行ってくるね』と送るつもりが、Xに『言ってこね』と誤字した上で誤爆する」という何も面白くない夢を見て飛び起きました。
夢なのでもっと荒唐無稽な内容や、「公式発表前の秘匿情報を誤ってSNSで公開してしまう」など背筋が凍るようなおそろしい大誤爆で震えあがっても良さそうなところ、逆に現実っぽくて不気味でした。
そういえば、中学生なら一度は妄想すると言われる、「学校にテロリストが現れる」系の夢を見たとき、かっこよく活躍するどころか自分が真っ先に死にました。
近い系統で「学校でゾンビパニックが発生する」の時も、みんなほど早く逃げられず、画面端に映るモブくらいのスピードでゾンビになりました。
今すぐ走るのをやめたいのに、最初に脱落した人になりたくないから半泣きで20mシャトルランを往復していた頃の話です。
主人公でいられるはずの夢の中ですら、自分が最強になるイメージがまったくできないのが反映されていて、可哀想なのにちょっと笑えます。
マラソン大会とかありましたよね、嬉しい記憶など無いですけど。
嫌いな行事ランキング1位でした。冬の定番で、毎年やらされるのが苦痛で仕方ありませんでした。
一緒に走ろうと約束した子に裏切られるのはお決まりとして、最後の方になると目立つし、先に着いてもうすっかり終わった気でいるクラスメイトや分厚いコートを着た保護者たちにしらじらしく応援されるのが本当にいやで、50人いるとしたら30番台で帰ってこられるよう必死で走りました。
その結果、ゴールしたところで思い切り転び、左膝に大怪我を負って今も傷跡が残っています。
大人になってよかったことの一つは、「自分以外の人間の都合で動かされる」が減ったことです。その分、選択に責任が伴うため、楽ではない場合もありますが。
子供のころたくさん抱えていた「いやだな」って、諦めと受容しかなかったですよね。
それが、どうしようもないものではなくなったのだと気が付いた時、心の底から自由を感じました。
お読みいただきありがとうございました。
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