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人形作家 若園菫の物語

  • 水野みやこ
  • 2020年4月18日
  • 読了時間: 3分

更新日:1月19日





私の永遠の少女。花村早苗と出会ったのは、小学二年生になったばかりの春だった。ピアノの先生に引き合わされて。

私をじっと見つめる、早苗の大きな瞳。同い年の子供なのに、なんだか品定めされている心地だったことをよく覚えている。


「さなえちゃんはね、とってもピアノが上手よ。弾きたい曲があるんだって。だけど、まだおててが小さくて指が届かないの。すみれちゃん、お手伝いしてくれる?」


先生の話に、私は小さく「うん」と答えた。

早苗は表情を変えなかった。



小学生の頃の早苗は、可憐な見た目のわりに獰猛な女の子だった。世界で一番ピアノが上手です、そう顔に書いてあるみたいに生きていた。

小さな二人が並び奏でる『ラ・カンパネラ』。タイミングがぴたりと合う。楽しい!初めてそう感じた。このときから早苗のことが好きなだけだったのかもしれない。


そのうち神童たちだと噂され、地元のテレビ局が取材に来て、何かのコンクールに出て賞をとった。あまりよくわからなかった。私の世界で早苗の存在だけが鮮明だった。

彼女は本気でピアノを愛し、また、ピアノに愛されていた。情熱を隣で浴び続けて誇らしかった。



小学校高学年になると、身体は大人に近づいた。連弾でなくとも鐘の音を鳴らすことはできただろう。けれど、お互いそれに気が付いていないふりをして並び続けた。

別々の中学で、それぞれの友達ができても、特別であることは揺らがなかった。音楽科のある高校に一緒に行こうと囁き合った。



私が好きなのはピアノじゃなくて早苗だ。もうこのときには、はっきりとそれを自覚していた。

私たち二人はこれからもずっと、神様の子供のはずだった。早苗の、音楽の天使の祝福を受けたはずの指が、あんなことになるまでは。




「すみれ、落ち着いて聞いてね。さなえちゃん、車に轢かれて入院してるって……それで、右手が……」



意地悪な神様は早苗から突然ピアノを取り上げた。彼女を愛していたんじゃないの?どうして私じゃなくて早苗なの?

私が早苗の指になったことが二人の始まりだった。叶うなら代わりたいよ。早苗。




早苗が白い部屋で微笑んでいる。

儚さと慈愛と聖性を閉じ込めた完璧な姿。

そこにはあの美しい獣のような少女はもういなかった。



その後、私はあらゆる感情の噴出をおそれるあまり、二度と彼女の病室を訪れることはなかった。

一人で音楽科に進み、美術科の生徒と友人になった。彼女は、人の顔の形をした、陶器のような何かに鑢をかけながら呟いた。


「初恋の人がモデルなの」「女の先輩……内緒ね」


人生の転機だった。






私は、永遠に喪われた私の中の鮮烈な少女を求め続けた。私に指が残された理由は、早苗の姿を留めるためなのだ。

十年後のある日、母が何気ない風を装って言った。さなえちゃん、結婚したって。


「そう……」


かつて鍵盤の上で踊っていた指を白い粘土に絡ませながら、母のほうを見ずに答えた。










お読みいただきありがとうございました。

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