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日記帳七冊目

  • 水野みやこ
  • 1 日前
  • 読了時間: 14分

25.10.25



本文の原稿を終え、同時進行していた12月の個展「神になる少女」の準備が本格的に始まりました。このタイトルを公開するのも初めてですね。かなり長いあいだ温めていました。


『NICOLA』の原稿や水彩原画、特別展示などを通して物語の余韻を、そして新作漫画で "その先" を楽しんでいただけたら嬉しいです。


本編を描き終えてしばらく経ちますが、私はずっとずっと『NICOLA』が大好きです。どうぞお楽しみに。






25.10.13


まだまだ原稿中です。


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半月ほど経ちましたので、先日のお知らせは掲示を終了しました。少しずつ季節が進むのを感じながら必死に手を動かしています。



NICOLAお知らせページ に冬の個展の日程について取り急ぎ記載しました。

メインビジュアルを伴うきちんとしたお知らせは10/25(土)公開予定です。



この先も制作が続き、しばらくのあいだSNSも含めて表立った更新は少なめになりそうです。ボロヴィニアを思い出し、こうして覗いて下さる方の存在に励まされています。








25.9.28



「あなたが自由意志で選んだはずのその趣味が、実は社会によって選ばされているとしたら?」



最近お気に入りの作業用BGMは、NHKの「100分de名著」のアーカイブです。

アマプラ経由でNHKオンデマンドに入り、少しずつ流しています。有料なので全ての方に勧められるわけではありませんが、丁寧で質の高い番組だと思います。


これまで観た中で最も強く心に刺さったのが、ブルデューの『ディスタンクシオン』の回でした。

社会学の本です。私が断片的に考えてきたことや感じていたことが見事に言語化されており、衝撃を受けました。



ブルデューは、「好き」は偶然ではなく、ある種の必然だと論じます。趣味は個人の内的な選択ではない。階層や環境など、社会的条件に規定されるものだと。


真弓がニコラを好きになったのも、たまたまではありません。「自分の感受性で自由に選んだ」ように見えて、実はそうではない。

彼女の十九年間の生育環境、家庭にあったものや見てきた作品、そうした積み重ねすべてが下地となり、惹かれるべくしてニコラに惹かれている。「ニコラ的なもの」を身近に感じる生活を送ってきたからニコラを好きになる。


実際、ニコラのファン層は似たような背景を持つ人が多いです。百花は異端に見えますが、演劇を好む人々の輪の中で思春期を過ごしたことが非常に大きい。




ディスタンクシオンという言葉そのものが、解説本の中で「卓越化」と訳されています。

人はただ「好き」を個人的に持つだけでなく、他者との差異を際立たせようとする。「この趣味を選ぶ私は格上だ」と。

趣味は、皆が思うほど無垢な楽しみではない。社会的な闘争の場である──ブルデューはこれを鋭く描き出しています。



真弓の「触れ合えるイケメンが好きな人と私たちは違う」。まさにそれが卓越化です。

隠しているのに暴かれて言い当てられたような、めまいがする心地になりました。


趣味を指針に、自分と他人を区別し、百花と結託して「私たちはわかっている側」と位置づける。

この繊細で気高くて、ずるくて必死な精神を、良い子の真弓は普段抑圧しています。けれど確実に存在していて、同じような言葉が出てくる場面はどれも、彼女の不安や誇りの根っこが透けて見える瞬間です。




「好き」とは、ただの自由な選択ではなく、社会や環境に支えられた複雑な必然。そして同時に、それは他者との差異を示すための武器にもなり得る。

『ディスタンクシオン』は、この二つを同時に突きつけてきます。私にとっては、今までの人物造形の考え方や感覚が間違っていないという手応えを得られたと同時に、さらに深く思考するための大きな刺激でした。






ここまで読んでくださってありがとうございました。

ところで、今のあなたの「好き」は本当に偶然の選択でしょうか。それとも、環境が選び取らせた必然でしょうか。



文量が多く難解なので、とても原稿中に手をつけられる本ではありませんが、個展が終わり自由時間がとれるようになったら絶対に読み切りたいです。








25.9.12


「美術館ってよくわからないから、学校の遠足以外で行ったことなかった。真弓はこっちに住んでるわけでもないくせに、なんでこんな詳しいの?


聞くと、東京に来るのは自分にとってイベントだから、毎回めちゃくちゃ調べるんだって。

たとえばニコちゃんのライブが土曜日の夜にあるとして、それ以外に使える全部の時間を行きたいお店とかに充てるらしい。予定ガッチガチに固めて。修学旅行生か?


誘ってくれて嬉しかったから、一緒にナントカ展に来た。有名らしい大きい絵の前に立てば、「きれいだな」とか「迫力がすごい」とは思う。けど、私はそれで何か考えたりするほど熱心にはなれない。

二人で同じものを見て、「これってさあ、そうだよね、わかる!」って小声で話すのはおもしろい。作品よりもこの時間が楽しい。


人がたくさん描かれた絵を指さして真弓が言った。「青い布はマリア様のしるしなんだよ」。そういうのどこで覚えてくるんだろ。

知ってる風に返したかったけど、その頭良さそうな雰囲気を出すための知識すら私にはなかった。


つか入場料キツい。800円くらいかと思ってた。2500円は聞いてない!」





制作中の漫画の内容とは直接関係ありません。



『NICOLA』の素敵なご感想をありがとうございます。真弓以外のキャラクターにも注がれた優しいまなざしをしかと受け取りました。お伝えて頂き嬉しいです。今まさに制作の大きな活力になっています。



結局いつもの通り、何も順調ではなくなり毎晩必死で描いています。

作りながらもアイディアが出て磨かれていき、プロットが手直しされ、確実に最初よりも輝きを増しています。


1話目が何やかんやと話していましたが、完成度を高めるため構成そのものを変える可能性が出てきました。

頭の中だけにあるうちは存在していないのと同じなので、とにかく描いて前に進むことだけ考えます。







25.9.3


この日記をご覧になっているか分かりませんが、少しだけ書きますね。とても素敵なメッセージを下さった方、本当にありがとうございます。


原稿中はとても孤独で、自分の力で全部どうにかするしかない暗い森を切り開いていく心情でいます。

こうして作品を受け取ってくださる方のお言葉や心は、そこに差す大きな光です。どれだけ有難く思っているか、言葉に尽くせません。





私は2019年に作家活動を始め、現在6年目です。もう小学生が高校生になるくらいの時間が経っているため、


「初めて作品に触れたのは中学生の頃でした。今年で高校を卒業します」「明日、誕生日を迎えて成人します」……


といった、エマや咲良と同じくらいの一番多感な時期をこのボロヴィニアで過ごした少女たちから、切実な想いを込めたメッセージをいただくことがあります。

愛しいような苦しいような、心臓をぎゅっと掴まれる気持ちになります。



今回、『エマージェンシーコール』に言及して下さっていました。嬉しいです。初期の作品になればなるほど苛烈で、剥き出しの生の感情が残されていると感じます。


今はそれなりに調理がうまくなりました。描けるものも増えてきました。それでも根っこには、この頃の唇を噛んで血を流して震えている少女の魂がずっとあります。


もし15歳の私がこの作品を見つけたら、一番ほしかったものがある!!と泣いてしまうかもしれません。きっと拠り所になるでしょう。自分の味方だと思うでしょう。





背景を「銀座の歩行者天国」と指定した過去の自分を深く恨みながら新しい漫画を描き進めています。

だだっ広くて見渡す限りなにもない野原にすればよかったです。冗談です。


ところで8月ってありました?

溶けて消えました。早すぎて、9月になったことが信じられません。コミティア154も個展もかなり先だと思っていたのに……






25.8.29


「しぐさの情報量」の話をします。


『薔薇のつぼみの女王のための歌』第二部では、最後に咲良が小説を書いていました。

執筆中の彼女は、ニーナ先輩をもとにした聖女キャラクターの描写に頭を抱えてしまうタイミングがあるだろうな……と想像しています。


どうしても説得力が出ない。判で押したような、特徴のない無難な美人になってしまう。



最初は外見を一生懸命描写するでしょう。“けぶるようなまつ毛、細い首”……。

平凡じゃダメだと思い、神秘的な美人らしい形容詞を探そうとすればするほどかえって空々しく、薄っぺらくなる。


次にセリフを工夫してみる。二人の過去にエピソードを加えて、薔薇の女王さまが彼女に惹かれる理由づけも試みる。

それでもキャラクターに厚みが足りなくて、まるで退屈な証明写真を眺めているみたい。その理由のひとつは、動作やしぐさの情報が抜け落ちているから。




私が作品に触れて、魅力的な人物描写だと感じるとき、そこには「しぐさ」が豊かに書かれていることが多いです。これに惹かれるんだと言わんばかりの熱量が大好き。

ちょっとフェチ寄りの視点かもしれませんが……この日記を開いている方には、分かっていただけるのではないかと思います。


先日も触れた『ロリータ』から、心惹かれる文の一つを紹介しますね。



“──するとなんたることか、ローがとろんとした目つきをして、石造りのプールの端でだらしなく爪先の長い脚をプールの水につけバシャバシャとやっていて──”



ふっと彼女から目を離して、戻ってきてみたらこの様子だった、というシーンです。


百文字にも満たない描写から情景が立ち上がり、しぐさのあどけなさと気だるい色気のギャップ(を語り手が感じていること)が伝わってきます。

「バシャバシャとやっていて」の翻訳も、ドロレスの印象とぴったり合っている。



そのキャラはどんな歩き方? 話しているときにしがちなリアクションは?

「ちょっとそこに座ってて」と言われたら、姿勢を正してお行儀よく待つ? それとも退屈そうにする? 子供みたいに両足をぷらぷらさせる?


そういう「しぐさ」があるだけで、解像度が一気に上がり魂が宿って見える。

時にセリフ以上に雄弁な、普段の何気ない動きが、キャラクターを味気ない証明写真から飛び出させる。



「画像だと魅力が伝わりにくいけど、この子は動いていると本当に可愛いんだよ」って良く聞きませんか? それとほとんど同じです。

きっと、すべての誰かのファンの人がそう思っている。真弓もニコちゃんにそれを感じている。SNSに上がっている止まった画像だけで判断しないでほしい。しなやかに踊る姿が美しい。上品なしぐさが大好き。




冒頭に戻って、そもそも咲良が興味を持っているのはエマです。先輩ではありません。

元よりイメージが淡い人物を、さらに薄く伸ばして長いお話に出そうとしたら、ぼんやりしてしまうのは当然ですよね。そこに無理にこだわるのは、今の咲良には少し背伸びかも。


むしろエマのキャラだけに全力を注いで、「私はこれが作りたい! 絶対形にする!」と勢いで突き進むほうが制作が楽しくなり、自分が納得できて、何が書きたいのかも伝わってくるいい作品が生まれそうです。







現在、新作一話目の作画をしつつ、二話目のネームと演出を練りながら、販売予定のドローイングも描いています。

手元が詰まったら他の制作に移れるので、悩んで止まる時間が少なく、今のところ順調寄りで走り続けています。


「同担だった女の子と、大人になってから久しぶりに再会し、かつての推しの舞台を見にいく漫画」。これが一話目にあたります。

二話目までは絶対に本に収めたい。さらに控えている三話目まで行けたら、大天才として自分を褒めることにします。その際はぜひ一緒に喜んでください。








25.8.26


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鏡の前で前髪を巻く真弓。

下描きが好みかつ可愛くできて嬉しい反面、このニュアンスを清書で出せるかちょっと不安ですね。


ポストカードサイズのドローイング1枚の完成には、8〜10時間くらいかかることが多いです。(オーダー作品の場合はもっと)


手元の画用紙に描いてスキャンし、Photoshop上でバランスを調整したり描き足して編集し、既定サイズに美しく納まる形を決めて「これなら大丈夫!」に持っていくところまでが下描きです。






25.8.17


個展のメインビジュアルが無事完成しました。

他の諸々と同時進行になり、一ヶ月以上かかってしまいましたが好きな絵になりました。



制作中の様子
制作中の様子


恥ずかしい話ですが、着彩段階で没になりかけ、スケジュールを考えると白紙から再制作する時間はもう確保できないので「水彩画なんて二度とやらない……」と一人で希望を失って無能感に打ちひしがれていました。

どうにか最初に思い描いていた完成まで引っ張ってこれてよかったです。




アナログは後戻りできません。それがつらい時があります。


昔、年上のお姉さんが、「デジタルはゴミが出ないだけのツール」と言っていました。アナログで下手な人がデジタルで描いたら上手いなんてことはない。道具で巧拙は変わらないよ、という戒めであり、弘法筆を選ばずの意でした。おおむね同感です。


新しい絵の具や、ちょっと素敵な絵筆を手に入れたらなんとなく上手くなる気がする。

けれどそれらは気分を上げて楽しくしてくれるだけで、自分を変えてはくれません。



ただ、デジタルかアナログかの話において、「戻る(undo)の有無」が心理に及ぼす影響は大きいと私は思います。


今回のように、それまで一ヵ月かけてきた絵がすべて水の泡になる可能性を背負って色を乗せる、となると怖くて気後れするからです。

どの一手も二度と消せないため精神的負荷が高い。チャレンジがしづらく、かなり意識しないと無難で保守的になり、理想が高く完璧を目指しがちな人ほど失敗を恐れてしまう。



好き嫌いではなく、水彩画が向いているかどうかだけを考えたら私は向いていないです。

度胸があって思い切れる人に適正があると思います。仕上がりの質感は大好きなんですけどね。







25.8.5


写真編集の好みが三年半でそれなりに変わっていました。

並べてみます。



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元の写真(左)を久しぶりに見返し、周囲の主張が強くて視線が迷いやすいと感じました。


撮影の目的は、世界観を表現して作品の魅力を引き出すことですから、そこに気を配れるようになったのは良い変化だと思います。



写真は室内で撮っているため、どうしても暗く写ってしまいます。それを編集して実物の色に近づけ、影の部分を明るくしたりトーンを整えています。

左も当時の編集済ですが、今見ると全体的に濃くて背景が目立つ印象だったので、以下の調整を加えたバージョンを作りました。


・コントラストを整える

・絵と額縁以外を、明るく+彩度を下げる

・外側に行くほど薄くぼかす

・色調を整える


いつも通り、作品そのものはいじりません。

すでに発表している写真ですから変えすぎず、主役がどこなのかはっきりさせることを考えています。


どちらが良いかは見る人の好み次第ですが、元の写真に比べ、自然と絵に目が行くようになっていたら嬉しいです。







25.7.29


咲良の手は、小さくて丸みがあって柔らかそうに見えるよう意識して描きました。薔薇の女王第二部ラストシーンより。



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この場面のペン入れ中、右で見切れている咲良のマグカップにアリス系の絵柄を入れるかどうか少し考え、やめました。

彼女は、親が見る頻度の高い、家で使うものに趣味を出さない(出せない)だろうなと思ったからです。部屋のインテリアも小中学生時代と大きく変わっていないでしょう。



咲良は、自分を境界として、外側よりも内側に関心があります。

外の世界になじむためのおしゃれをしたり、お化粧をするのはあまり得意ではない。人に見せるのに抵抗がある。自分がなんだかとても汚らわしいことをしている気持ちになる日もあって、どうしたらいいのか分からない。


好きだと思う服やアイテムはある。ラストシーンで身につけている、ハートの鍵付きの懐中時計風ネックレスはとても咲良らしい。絶対に彼女が好きだと思って描きました。


つま先が丸くてかかとの低い靴。ナチュラル系の綿レースがあしらわれたバッグ。どちらも素材は合皮、少しマットな手触り。この作品がカラーなら優しい茶色で塗っています。



最後まで読んで下さった方から、「大人になったエマちゃんと咲良ちゃんの服装が、それぞれ分かりすぎる」……というご感想を頂いたことがあります。考えて描いたので、しっかり見ていただけて嬉しかったです。


私個人の考えですが、ファッションには私的な好きと、自分が他者からどう見られたいかの意識(社会との関わり方)のバランスが如実に出ます。

その子がどんな理由でどんな服装を選択するのか、しっかり想定しておくと絵でキャラクター性をより伝えることができてお得だなと思います。


もしエマが、先輩の一件がなく「女王様」のまま制服から私服の年齢になっていたとしたら、今とは異なるテイストの服を着ていそうです。







日記に綴った話へお寄せ頂いたメッセージや、薔薇の女王のご感想、ひとつひとつ大切に拝読しています。言葉にしてくださってありがとうございます。


広い世界の中でこのお話が胸に刺さる方、まるで自分の物語だと感じるあなたの元へ、お届けでき光栄に思います。









お読みいただきありがとうございました。


日記帳六冊目はこちら

手記の目次はこちら



 
 
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