top of page
検索

知りすぎると駄目になってしまう少女

  • 水野みやこ
  • 2022年12月12日
  • 読了時間: 7分

更新日:1月19日





こちらの漫画に関するお喋りです。

文章コンテンツとしてお楽しみください。



・2017年版の掲載

・推しが別人になっても愛せるか?

・真弓(このお話の主人公)とロリィタ

・ママの人物像


の順に話しています。



最初に当時の作品を載せます。







 まだ真弓が高校生の設定ですね。自分の性質を悟ってその身勝手さに絶望している姿を描きました。



以降、長編漫画『NICOLA』(2020)のネタバレがあります

伝わるように書いていますが既読の方向けです。







 今回、お話の内容自体は大きく変えていません。


 けれど大きな違いとして、新しく描いた方の真弓にはニコちゃんのことを乗り越えて作品づくりをするになる(推しに委ねていた理想を自分の手で表現しようとする)未来がある。


 自分自身の感性を愛せることは強みです。むしろ希望となるので、今なら真弓はこれでいいんだと言えます。



 彼女だけに限らず、ツイートに書いた通り、至高の存在を求めたり想像が膨らんで夢見て期待することがたとえ自己愛に由来するとしても、そんなにも豊かな想像力を持っていて自分を愛せるなんて素敵なことです。


 本や映画、音楽、アニメやゲーム。あなたの好きな何かに触れるとき、きっと人よりもたくさんのものを受け取っているのでしょう。





 ここで一人のキャラについての思い出を話します。



 中学生のころ、あるミステリアスな男性キャラクターに局所的な人気がありました。時々重い過去を背負っていそうなことを匂わせる以外は、背景が一切謎でした。


 本当に何も語られないので、女の子たちの燃え上がるような好奇心と空想の対象となりました。


このキャラとこういう関係なんじゃないか……こんな過去が……ここはたぶん伏線で……ああじゃないかこうじゃないか……とごく少ない情報から火のないところに煙を立たせるようなおしゃべりは止まりません。


 やがて実際のキャラクターからどんどん離れていき、「こうだったらいいな」が詰まった私たちの中の〇〇になり、やっと彼の過去や元カノの存在が明かされた頃には誰も受け入れられなくなっていました。



 私自身、初登場時は儚げなお嬢さんだったキャラクターがしばらく経って再登場したら別人になっていてショックだったことがあります。

 再登場までにすっかり構築されてしまった私の理想とは違うから、もう私の中では所作の美しい麗しき深窓の令嬢のままです。


 文章のみの作品でものすごくマイナーなキャラを貴族的で優雅なレディとイメージしていたら、のちに映像化したとき顎ヒゲ豊かなおじいさんだったこともありますよ。こっちは結構笑い話で、けれど私の中ではレディのままです。





 全てを知りたい気持ちって、どこからくるんでしょうね。


 二次元のキャラクターならまだ限りがあるけれど……リアルの推しや友人などに向けてしまったとき、必ず傷つくとわかっているのにやめられない。

 まさに真弓がこれで、たとえば友人に強い独占欲を向けて交友関係を探った結果、前の学校に親友がいて自分が一番じゃないとわかって傷つく。

 知らない方が幸せなのに、推しの過去をわざわざ知ろうとしてショックを受ける。そして苦しむ。知らなかった頃には二度と戻れない。


 悪趣味かもしれないけれど、好きなテーマです。とても少女的だと感じるから。




 そういえば、今回の漫画の中で服を4種類描きました。


・セーラー服

・部屋着2種類

・レース襟のワンピース


 思い返せば、と言っているので最初のシーンは2017年版に倣ってセーラー服。最後の場面は観劇のときに着ている服。私が真弓っぽいと思うデザイン。


 真弓は現代の実在する普通の子なので、部屋着はレースのネグリジェワンピースではなくスウェットやもこもこのルームウェア。


2017年版ではファンタジー寄りの絵だった部分(夜ごと夢想を〜)も、部屋で寝転んでスマホを見る表現に変更。空想しているときはきっとこんな感じでしょう。


 彼女はロリィタ的なもの(ひとくくりにしてごめんなさい)が好きで、プリンセスのようなルームウェアを着てみたいという潜在的願望はある。

けれど、人からどう見えるか、特にママの好みかどうか顔色を伺うところがあるため、実家ではそうしたいという発想すら出てこない。



 過去作に、真弓が中学にリボンカチューシャをしていったり大学に一度だけロリィタ服を着て行く漫画がありますが、『NICOLA』の連載を終えて当時よりも人物理解が深まっている今これは描かない。作品自体は気に入っています。



(24.6.15追記…該当作品は解説付きで再録集に収録しました。)



 そもそも娘の服装の変化に気づいたら、母親がさりげなく軌道修正しようとします。


 「まゆちゃんはロリィタさんになりたいの……?」ロリィタという言葉を知らなければ「周りのお友達みたいにもう少し落ち着いた服にしてみない?」


 真弓はママがよく思っていないことを敏感に察知して自分の中に封印し、好きな気持ちをなかったことにしてしまう。"真面目ないい子の長女"としてしか生きられない。


 なお仮に当時の作品の通り一度着れたとしても、絵を描くことで納得してさわやかに終われる真弓ではないと今は思っています。




 過去の手記と重なるお話になりますが、


・部屋にこもっている娘を心配して林檎をむいてくれるママ(NICOLA11話ラスト)と

・幼稚園の頃の真弓の作品も飾ったクリスマスツリーを出しているママ(NICOLA17話ラスト)、

・真弓の好きな作品を軽んじるママ(少女の心臓 2人目の友達の場面)


 は、途中で設定が変わったのではなく同一人物です。


 まず真弓の性質ありきで、それならこういう親、と逆算で設定が決まっていきました。名古屋の特徴として母娘の距離の近さがある程度有名なため、そこからも着想を得ています。


 真弓が現実を生きる生身の人間として存在している以上、育った家庭と両親のイメージも明確です。


 優しくて思慮深い。落ち着いており、急に怒ることはなく穏やか。賢くて教養がある。お金に困ったことのない実家暮らしのお嬢さんがそのまま奥さんになった感じ。噂話を自分からしない。まゆちゃんちのママといえばみんながいい人だと言う。


 娘の年齢に比例した子離れができておらずまだ娘を小さな自分だと感じている。自分ができなかったことを娘にさせようとする。他人にどう思われているか必要以上に気にしてしまう。人間関係に悩みやすい。八方美人で人の頼みを断ることができない。


 そんな人物像です。当然、真弓と似ているところがあります。



 最初の子に対し、母親としてしっかりしなきゃと思うあまり先回りしてきたため、真弓は主体性に欠け困難に弱いなど影響があります。

 (考えた順番としては 真弓に主体性がないのはなぜか? → 親が先回りするタイプだから ですが)


 今回は服装から真弓ママについての語りになりました。パパや下のきょうだいについてはまたの機会にお喋りしますね。




 真弓は私にとって、少女のままいるでことは本当に不可能なのか? というずっと考えていたテーマへの答えです。


 傷つきやすく繊細で空想的で、何かに期待してはショックを受け、現実を生きるには脆く柔らかすぎる少女の心臓から血を滴らせながら、もうすぐ繭の中から出なければいけないと悟っている。

 大人になるのが怖い。今のわたしのままでいられないのなら死んでしまいたい。

 こんな少女がどこかに存在しているのならば、理不尽なことや苦しいことがたくさん起こるこの現実も捨てたものではないと私は思っている。

 あなたが心寄せてくださったり共感して頂けるたび、真弓は本当にいるんだ、少女の魂はあるのだと感じて心強く温かい気持ちになります。作品を受け取ってくださってありがとうございます。







お読みいただきありがとうございました。

手記の目次はこちら

bottom of page