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「永遠の少女の世界で私の手を握ってくれる人なんていないんだ」


2021年10月から2022年2月までのツイートより抜粋。

備忘録です。誤字脱字等の修正、一部注釈あり。





21.10.21

主体少女は思想

客体少女は幻想です


今ある私の漫画作品は主体的な少女の目を通した世界ですが、客体的に描かれる少女たちのことも同時に愛しています。『ロリータ』のハンバート氏の様相はまるで自分のことを指摘されているよう。



21.10.21

ニンフェットは闇属性なので、明るくて正しい女の子たちの中にはいないんです


21.11.4

どんなに稚拙で、あるいは中二病的で、もしくは後から見て痛々しいものだったとしても、学校の休み時間に集まって絵を描いたりルーズリーフに創作世界の説明を書き合う時間は少女たちにとって必要でものすごく楽しいというだけで全肯定の姿勢です


タキシードとドレスを着せたお人形で推しの結婚式をした日、何一つ現実じゃなくても私達には全部が本当だった。

数年後「あのとき楽しかったね」と話したら「黒歴史じゃん」と鼻で笑われ悲しかったけれど、そうして変わって忘れていくのが普通なんだと思います。最後の一人になっても私は肯定し続けます


21.11.8

少年少女のころアリプロの血を受け継いで自分の中にそれを残しながら今ものづくりをしている人、少なくないと信じてる


21.11.8

『NICOLA』のファン仲間4人で信仰の証としてお揃いの天使のロザリオを持つ、という案があったけれど そこから先ずっと全員付けていなければいけない=作画が大変で連載に向いていなくて諦めたことを思い出しました

作中に現れないだけで、真弓の机の中に2021年の今も入っています。


推すことには多かれ少なかれ信仰が含まれる

偶像を並べ飾って"祭壇"と呼ぶところからもそれが伺える

本人不在の誕生会は儀式であり祈りなんです


21.11.9

『ロリータ』を読んでいると、初めから終わりまで徹底して一方的な視線で綴られ信仰と妄執を感じる手記形式の文章が書きたくなる


ジャンルを問わず「誰か運命的な存在についての私小説、または手記や告白のみで進む(=対象が完全に客体になる)物語」がとても好きだと比較的最近自覚しました


21.11.9

Baroque(サンホラ)が小説だったら、象牙色をしたレリーフ表紙の祈祷書を思わせる装丁、中身は匿名の少女による「"彼女"との長い交わり」を仔細に綴った日記。後半になるにつれ狂気じみてくる主観的な世界。それ以外の表現は一切出てこない


21.11.13

中学生のころに憧れの先輩(美人・高潔・ミステリアス・まっすぐ流れる長い髪)から頂いた彼女の耽溺している洋楽やワルツを集めたCD(12歳の私は背伸びしてわかったふりをしていた)を聴きながら画集の編集作業をしている


彼女は他人に好きなものの話をしない人でした。内面世界を守るために。否定されると傷を負ってしまう繊細な心のために。けれど私には見せてくれたその信頼が何より嬉しかった。このCDと、細い筆跡の美しい字で綴られた曲の解説を読むと時が戻ります。この頃の彼女がもうどこにもいなかったとしても。


私に最初に「美しい」を教えてくれたのはALI PROJECTだと思っていたけれど、花の種を植えてくれていたのは彼女だったのかもしれない



21.11.23

客席側が思うほど舞台から客席は見えていない。ニコラは、真弓の胸元に輝くファン仲間と揃いのロザリオにも指を飾る天使にも永遠に気づかない。

彼女が身につけているものは、おそらく皆がそうであるのと同じように、崇拝対象本人に見せるためではなく信仰を示すものであり彼女自身の祈りの具現化です


21.11.27

傲慢で選民思想を持ち自分を特別な存在だと感じていて、潔癖ぎみでプライドと理想が高くて空想的で、美しく生きられないのなら死んでしまいたいと思う少女、大好き


21.12.17

クリスマスが近づき、12月生まれの真弓は誕生日が過ぎて21歳になりました。去年落とした単位のことがあるので年明けの試験まで気が抜けませんが、あたたかい家で優しい家族と過ごします。

百花は古い賃貸を引き払って彼氏と暮らしています。"楽しみにして良いクリスマス"に安心しています。


21.12.20

(その年齢、時期だからこそ感じられる感動というものが音楽や映画、絵画にはあると思う。というツイートを受けて)

”学校に守られてまだ外側の汚い世界を見なくて済んでいるのだと気がつき始めた、もうすぐ出て行かなければならないモラトリアム期の少年少女”の話と高校生で出会って強烈に感情移入したのは本当に幸せな読書体験でした


「今この本を開いてもあの頃と同じ感動は得られない」と薄々分かっていて、最高の記憶を更新したくないがために仕舞い込んでいる



好みが似ているフォロワーさんが「私はアリプロに出会ったのが成人してからなので強い傾倒にならなかった」と言っていたのが印象的で、コンテンツに触れるタイミングの話になるといつも思い出します


大人になり感性が鈍るのがとても恐ろしかったけれど、むしろもっと物語を楽しめるようになった。世界の解像度が上がった。感覚だけでなくそれの何が好きかを言葉で表現できるようになった。たとえ二度と戻らないものがあっても、これからの人生も楽しくて希望がある


21.12.24

『NICOLA』本編に出てくるニコラの姿は全て真弓の描くニコラです。

成人男性ですから本当はもっと男の子っぽいかもしれないし、真弓が思うよりはただの人間かもしれない。けれど彼女の目に映る彼、現実と切り離された存在として舞台に立つときのニコラは誰が何と言おうと絶対に本物の天使なんです。


たとえば野菊さんがニコラを描いたらもっと男の子っぽくリアル寄りになる。「柔和な雰囲気の綺麗な若い男性」くらいのテイスト。

好きを共有し同じ人を追いかけていても見えているもの(≒見たいもの)はそれぞれ違ってそれぞれの真実がある


21.12.25

『Café d'ALIで逢いましょう』泣いてしまいますね……"向かいの椅子に座っている多感な少年少女"はあの頃のわたし、あの頃のわたしたち。

アリプロを好きになっていなければ一生手に取らなかったであろう作品、出逢っていない人々が多すぎる。そもそも創作活動すらしていなかった可能性が高い


21.12.30

独占欲が強い少女が好きです。

ぽっと出の男に友達を取られる、なんて考えただけで狂いそうな少女。私の方がずっと好きなのに。たくさんのあなたを知っているのに。


自分に出会うよりも前の友達の話だって本当は聞きたくない。

「きのう中学の友達と映画観てきて……」と彼女は言う。どうしてその映画、私と行ってくれなかったの? 喉まで出掛かるけれどプライドが高くてその言葉は音にならない。


22.1.1

もう2年以上前のことですが 初めてのコミティアで隣に居てもらったくらい深く信頼していた友人に「作品が最初から嫌いだった。少女的な感性なんて全部否定してやりたかった」と言われ、それからずっと肯定する方法を探し続けています。そうなれているでしょうか。

こんな経験が必要だったとはとても思えませんがこの時の決意がなければ『少女の心臓』は生まれておらず『NICOLA』にたどり着いていないのは確かです。たくさん描きました。これからも描きます。


22.1.14

「演者の1人が上演中に怪我をしてその回以降出演できなくなり、脚本を変えて残りのメンバーでやり切った舞台」を観たことがあります。

千秋楽のカーテンコールでは爆発するような拍手。演者も泣き、観客席中からすすり泣きが聞こえ、わたしも同行者も感涙。


けれど帰って冷静になって絶望しました。


結局私たちが一番喜んで食べるのは作品の内容でも舞台芸術でもなく、推しや演者の生の心の動きだと気づいてしまったから。高尚ぶっていても私もそうなんだと。

心揺さぶられたのは「公演中止寸前の逆境から支え合って最後まで走り抜けたチーム」という偶発的な、字で書くと安っぽいドラマであり表現そのものではなかった。


作品は一切面白くなかったはずなのに(これは私だけの意見ではなく知る限り皆そう言っていた)、評価を変え涙をあふれさせてしまった己の浅はかさや俗っぽさが後からショックでした。

別に誰も高潔であれなんて言ってないんですけどね。私は芸術を見ているのであって軽薄な人とは違うんだという自意識があったんでしょうね。自分に期待しすぎていた。強烈に覚えているできごとです。



22.1.22

東京ミュウミュウの衣装はシンプルでシルエットが綺麗で、そこに猫のしなやかでセンシュアルなイメージが加わって絶妙に色っぽくてドキドキしていました。


背中が大胆にあいているんですよね。ミュウミュウの印のある場所も太ももの内側だったり胸元だったりちょっとセクシーで、それが良かった。体のラインの美しさに惹かれました。


女の子向けの女の子の色気といえばぴちぴちピッチも、アニメではマイルドになっていた気がしますが漫画の絵は曲線的で色っぽかった。


子供だからわからないということはない。結構感覚でわかってる。ただ可愛いだけではない仄かな官能性をもつものに惹かれていたように思うし今も好き



22.1.23

仲良くなった女の子とアリスの世界観のカフェに行き"同性の先輩に強すぎる憧れと執着と独占欲を抱いていた"という共通体験があると分かり初めて仲間を見つけた安心感と信頼感に固い絆を結びかけた次の瞬間「そんな私にも今は年上の彼氏がいまして」と言われてその場で泣いてしまったことがある


勝手なんですがその時はどうしてもだめだったんです。永遠の少女の世界で私の手を握ってくれる人なんてやっぱりいないんだと思って絶望しました




21.2.4

(パパはビール、子供はお菓子詰め合わせ、ママは洗剤なのしんどい。というツイートを見て)

中学生くらいのころ母の誕生日にミトンをプレゼントしたら「うれしいよ。だけど、ママとして家事に使うものじゃなくて、"私"のものがほしいな」と言われた

その時はよく分からなくて、喜んでもらえなかったのかな……と感じたけれどこういうことだとやがて理解した


私が選んだものならなんでも嬉しいんじゃないの……?どうして?😭😭(子供の傲慢)という思考だったため突然のNOにびっくりしてその瞬間はかなり傷ついてしまったんですが、早いうちに大切なことを教わったと思う




22.2.4

("自分と行こうねって話してた場所に、他の人と先に遊びに行かれるとがっかりする"というツイートを受けて)


ああ……

大好きな友達にこれをやられて「もー!次は一緒に行こうね!」は勿論のこと「約束したのに他の人と行くなんて悲しいよ😭」も謎のプライドが邪魔して言えず、私の気持ちは考えてくれなかったんだなと勝手にいじけて正しくて明るくて優しい女の子に気を使わせた上に結局行かなかったことがある


こんなに大好きなのは、あなたと行くのを楽しみにしてたのは私だけなんだ……そうやって気軽に男の人と一緒に行っちゃうんだ……とションボリしてしまった少女の私、抱きしめてあげたい


22.2.4

わたしは女の子たちとの色々な瞬間をほとんど全部覚えている、と思う 彼女たちが忘れて大人になっていたとしても


22.2.5

レースのあしらわれた白い少女服は特別で、他が持ち得ない神聖な魅力があります。ピクニックatハンギングロックもそう


22.2.5

アリプロのライブはクラシックコンサートに近い。静かに聴き入り誰も席を立たないところがわたしは好き。美術館で自分と目の前の作品だけの純粋な世界に没頭できるのと同じ感覚です。


ライブでの、「(アリプロは)クラスの8割の子が聴いている音楽じゃなくて、クラスに1人か2人の子がひっそりと聴いている曲。そうありたいと思っている」

というお話に涙が出そうになりました。まさにわたしは、わたしたちはその1人の少年少女だったから。


22.2.6

(ストーリーを1〜2行でまとめる「ログライン」の話を受けて)

『NICOLA』なら「推しを盲目的に信仰し夢を託していた少女が、絶望を乗り越えて自分の力で立ち上がっていくまでのお話」ですね


描き始めた頃は、推しの誤爆事件の次が最終話の想定でした。後半にあたる9月編から先のストーリーは丸々存在していませんでした


が、2話目のここを描いていて彼女の問題は「自分の力のなさを思い知るのを恐れて進まないこと」だとはっきり感じました。彼女がニコラ(推し)が大好きなのは本当ですが、反面、自分では何もしない言い訳として機能しています。


わたしが描きたいのは、推し活動の悲喜こもごもそれ自体ではなく、それに伴う様々な人間関係や事象を通して自身の問題を克服していく少女の姿であり、そして


「少女の感性を否定せずにそれを持ったまま大人になれるのか」


という、ずっとずっと考え続けてきたテーマでした。


最後に真弓が強い説得力をもってこれを体現する姿を描くと決める→そうなれるまでの道筋として後半の物語の大筋が定まる→全容が見え、前半のプロットも直しながら完成に向かって突き進むことができました。


今朝、現在真弓と同い年の方から瑞々しい感性にあふれた共感のメッセージを頂き、またこうしてお喋りしたくなりました。

これから真弓は新しい世代の少女の道標になっていきます。彼女の背中を見て育つ少女は、わたしはこれで大丈夫なんだ、わたしを否定しなくてもいいんだと確かな力を胸に宿します。



22.2.9

私のことはクレヨンしんちゃんだと思って頂きたいくらい筋金入りの綺麗なお姉さん好きなので幼児のころからの強めエピソードが本を出せるくらいある


もし男の子に生まれていたら、背が高くて髪が長くて細身で所作に品があって色素が薄くて凛とした美人だけど現実の男性には興味がなく跡部さんが大好きなところがかわいい先輩と学校帰りに二人でご飯に行ったりできなかったので女の子に生まれて良かった~!と思っていた


22.2.13

聡明ゆえに、ときおり周囲の人間が自分とは違う生き物のように感じる孤独な聖少女、大好き









お読みいただきありがとうございました。

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