その日は一年で一番のおめかしをして出かけました。重なり合う花びらのようなフリルの日傘をさし、薔薇の飾りのついた靴の高いかかとを鳴らして。
「ここではない場所」へゆくためのドレスコードです。大好きなアリプロのコンサートは、わたしにとって現実が入ってくる隙のない完璧で純粋な幻想世界でした。
会場の最寄駅で、ファン仲間のお姉さまと同い年の女の子と落ち合います。メッセージでたくさんお喋りしているけれど、生身で揃うのは一年ぶり。
これから最高の時間が始まるんだ!
と、胸が苦しくなるほどの高揚に支配されました。
最前列が当たったチケットを、舞踏会の招待状のようにきゅっと握ってロビーへ滑り込んだとき。
「あ! みやこ先輩〜!」
前方で学校の後輩が私に手を振りました。彼女の隣には、背の高い男の人が所在なさげに立っています。
「えー、先輩来るなら教えてくださいよー!あ、これ彼氏です」
「どもっす」
そこでわたしの幻想は幕を閉じました。コンサートが始まっても浸れず、切り替えられないままあっという間に終わり、気がつけば自室でした。
意味がわからない、もっともです。
過剰な反応だと感じるかもしれません。
それでもこの時はそうでした。
彼氏とかいう現実中の現実を、幻想の中にわざわざ持ち込むなんて。
理解できない。気持ち悪い。ここは神聖な場所。たった2時間の聖域。浮ついた気持ちで来て良いところじゃないの。遊びじゃない。私は絶対にしない。リアルの友達すら呼ばない!
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今のわたしの中で、アリプロは「殿堂入り」のような存在です。恋が愛になるように。安定した穏やかな気持ちで好きです。
紡がれた世界に陶酔をする。いつでも強烈な傾倒を思い出せる。新しい作品を楽しむ。けれど自分自身を託すような傾倒は、きっともうない。
あの頃は自分を代弁してくれる存在が必要だった。これから汚くて恐ろしい外の世界を生身で生きていかなければならない少女に、美しいものを示してくれる存在が必要だった。
繭の中で聴いた旋律は安心して生まれるための道しるべだった。まだ曖昧で不安定なわたしと融合し、わたしを語る、わたしそのものだった。
今の穏やかな「好き」と、当時の烈しい「好き」は性質が違いました。
これまで誰にも話したことはありませんが、あの頃は他の知らないアリプロファンの人が少し怖かった。個人サイトに来て下さった方や一緒にライブに行った仲間のことは大好きだったけれど、名前も知らないどこかの誰かは、自分を脅かす存在のように感じることがありました。
わたしが一番好きなのに。わたしほどこの美しさを、この詩に込められた意味を正しく理解している人はいないのに。わたしのために紡がれた世界を違うものにしないで……なんという自意識過剰!
けれど、自分のために作られたと感じる作品に出会えるなんて、なかなかない幸せな体験です。これでよかった。自己と好きなものの境界を曖昧にしてしまうくらいのこの陶酔がわたしにはとても大切でした。
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SWIMMERのカラフルな小物がバッグにたくさん付いていた後輩。素敵な女の子でした。お互いアリプロが好きだと知っていました。けれどそれを深く語り合う間柄ではありませんでした。
強烈に好きなもの、魂を預けるほど心酔しているものの話はやがて内面の、経験の、人生の話になります。少なくともわたしはそうです。
幻想を通じて出会い、銀の糸で繋がったアリプロ仲間とは語り合える。けれど現実の学校生活を共にする、年下でしかもタイプの違う子に自分の心臓を見せたいとは思えませんでした。
そしてもう一つ。感性を信頼するに至っていない相手の、好きなものに関する何かが自分より優っていたらつらくなってしまうから深入りしなかったのです。
だってきっとこうなります。
「わたしの方が好きな気持ちが大きいのに。ときどき軽薄に見える彼女よりも、わたしの方がファンに相応しいのに……」
ああ、好きって難しいですね!
もっと気楽な「好き」だったなら、後輩と楽しく共有して一緒にコンサートに来ていたかもしれません。
けれどこの頃のわたしの「好き」はとても重くて、鳩の血の色の心臓と繋がっていて、見せることも譲ることもできませんでした。
個人サイトや手記を見に来てくださる方なら大丈夫だろうと思い、剥き出しで書いてしまいました。
後で照れくさくなるかもしれませんので、同じ魂を持つ少女だった、あるいは今も持っている最高なあなたはメッセージフォーム等から名乗り出て下さい。お願いしますね。
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リアルの友達すら呼ばない!などと豪語していた潔癖で尖った私は大人になって丸くなり、「ALI PROJECT 2021〜新春A級ヒットパレード」に友人と行きました。
この子を通じてアリプロを知ったんだ、それがなければここに自分はいないし、あの人ともあの人とも出会っておらず、描いてきたどの作品も存在していない……結ばれた縁に想いを馳せながらめいっぱい楽しんで幸せな気持ちで帰宅しました。
もしも今、コンサートに恋人を連れてきた知人と会ったなら「たくさん楽しんでね!」と声をかけるでしょう。
どこかのアリプロファンはわたしを脅かす存在ではなく同志で、お互い素敵な作品に出会えて幸せですね、と胸の奥で語りかけます。
あの頃より生きやすくなりました。一般的にはよいことのはずですが、変化を感じて寂しくもあります。
けれど過激で過敏な少女の感覚を、子供の癇癪だとか、否定したい恥ずかしいものだ、悪いものだとはただの一度も思うことなく外の世界で今までどうにかやってこれたので、たとえ変わろうともあの少女が息絶えることはないはずです。
お読み頂きありがとうございました。
これはアリプロと"好き"にまつわる少女的な記憶のほんの一端です。また何かの折に、他のお話も綴りたいと思います。
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